ブン擲られるにきまっている。
けれでも、そこを擲られないで、かえって尊敬を受ける秘伝があるのだが――
それは聞きたいものだね、そういう秘伝があるならば、それこそ一夜にして名人となったも同然。
南竜軒もばかばかしいながら、多少乗り気になったが、友達の先生はいよいよ真顔で――
しかし、一つは擲《なぐ》られなければならぬ、それもホンの一つ軽く擲られさえすれば済む。それ以上は絶対に擲られぬ秘伝を伝授して上げよう。
頼む――多分、牛若丸が鞍馬山で天狗から授かったのが、そんな流儀だろう。それが実行できさえすれば、明日といわず武者修行をやってみたいものだ。
よろしい、まずお前がその二十七貫を武芸者らしい身なりに拵《こしら》え、剣術の道具を一組買って肩にかけ、いずれの道場を選ばず玄関から、怯《お》めず臆《おく》せず案内を頼む。
取次が出て来たところで、武者修行を名乗って、どうか大先生《おおせんせい》と一つお手合せを願いたくて罷《まか》り出でたと申し出る。
道場の規則として、大先生の出る前に、必ずお弟子の誰かれと立合を要求するにきまっている。その時、お前はそれを拒《こば》んでいうがよい。いや、拙者はお弟子たちに立合を願いに来たのではない。直接《じか》に大先生に一手合せを、とこう出るのだ。
先方は多少、迷惑の色を現わすだろうが、立合わないとはいうまい。立合わないといえば卑怯《ひきょう》の名を立てられる――そこで道場の大先生が直接にお前と立合をすべく、道場の真中へ下りて来る。
南竜軒、ここまで聞いて青くなり、堪らないね、お弟子のホヤホヤにだって歯は立たないのに、大先生に出られては、堪らない。
そこに秘伝がある――大先生であれ、小先生であれ、本来剣術を知らないお前が、誰に遠慮をする必要があるまいもの、いつも祭文でする手つきで、こう竹刀《しない》を構えて大先生の前に立っているのだ。
それから先だ、そこまでは人形でも勤まるが、それから先が堪るまいではないか、と南竜軒が苦笑する。
友達殿はあくまで真面目くさって、それからが極意《ごくい》なのだ、そうして立合っているうちに、先方が必ず打ち込んで来る。面《めん》とか、籠手《こて》とか、胴《どう》とかいって、打ち込んで来る。
南竜軒の曰《いわ》く、打ち込んで来れば、打たれちまうじゃないか、こっちは竹刀の動かし方も知らないんだぜ。
友達殿曰く、そうさ、打たれたのが最後だ、どこでもいいから打たれたと思ったら、お前は竹刀を前に置いて、遥《はる》か後ろへ飛びしさり、両手をついて平伏し、恐れ入りました、われわれの遠く及ぶところではござらぬといって、丁寧にお辞儀をしてしまうのだ。
なるほど――
そうすれば、先方の大先生、いや勝負は時の運、とかなんとかいって、こちらを労《いた》わった上に、武芸者は相見たがいというようなわけで、一晩とめて、その上に草鞋銭《わらじせん》をくれて立たせてくれるに相違ない。芳名録を取り出して先生に記名してもらう。その芳名録を携えて、次の道場を同じ手で渡って歩けば、日本全国大威張りで、痛い思いをせずに武者修行ができるではないか。
「なるほど」
南竜軒は首をひねって、暫くその大名案を考え込んでいたが、ハタと膝を打って――
面白い、これはひとつやってみよう、できそうだ。できないはずはない理窟だ。
そこでこの男はデロレンをやめて、速成の武者修行となる。形の如く堂々たる武者修行のいでたち成って、神戸から江戸へ向けて発足《ほっそく》。
名乗りも、芸名そのままの山本南竜軒で、小手調《こてしら》べに、大阪の二三道場でやってみると成績が極めてよい。全く先方が、誂《あつら》え通りに出てくれる。一つ打たれさえすれば万事が解決して、至って鄭重《ていちょう》なもてなし[#「もてなし」に傍点]で餞別《せんべつ》が貰える。
そこにはまた、道場の先生の妙な心理作用があって、この見識の高い風采《ふうさい》の堂々たる武者修行者、弟子を眼中に置かず、驀直《まっしぐら》に師匠に戦いを挑《いど》んで来る修行者の手のうちは測り難いから、勝たぬまでも、見苦しからぬ負けを取らねば門弟への手前もあるという苦心が潜むところへ、意外にも竹刀《しない》を動かしてみれば簡単な勝ちを得た上に、先方が非常な謙遜《けんそん》の体《てい》を示すのだから、悪い心持はしない。そこで、どこへ行っても通りがよくなる。
部厚《ぶあつ》の芳名録には、一流の道場主が続々と名前を書いてくれるから、次に訪ねられた道場では、その連名だけで脅《おどか》される。
かくて東海道を経て、各道場という道場を経めぐって江戸に着いたのは、国を出てから二年目。さしも部厚の芳名録も、ほとんど有名なる剣客の名を以て埋められた。
天下のお膝元へ来ても、先生その手で行こうとする。その手で行くより術《すべ》はあるまいが、いったん味を占めてみると忘れられないらしい。事実、こんな面白い商売はないと思っている。
そうして、江戸、麹町番町の三宅三郎の道場へ来た。
この三宅という人は心形刀流《しんぎょうとうりゅう》の達人で、旗本の一人ではあり、邸内に盛んなる道場を開いて、江戸屈指の名を得ている。
そこへ臆面《おくめん》もなく訪ねてきた山本南竜軒。例の二十七貫を玄関に横づけにして頼もうという。門弟が応接に出ると例によって、拙者は諸国武者修行の者でござるが、当道場の先生にもぜひ一本のお手合せが願いたい――これまで各地遍歴の間、これこれの先生にみな親しくお立合を願っている――と例の芳名録を取り出して門弟に示すと、それには各地歴々の剣客が、みな麗々《れいれい》と自筆の署名をしているから、これは大変な者が舞い込んだ、と先生に取次ぐ。道場主、三宅三郎もそれは容易ならぬ客、粗忽《そこつ》なきように通しておけと、道場へ案内させて後、急に使を走らせて門人のうち、優れたるもの十余人を呼び集める。
そこで三宅氏が道場へ立ち出でて、南竜軒に挨拶があって後、これも例によって、まず門弟のうち二三とお立合い下さるようにと申し入れると、南竜軒は頭を振って、仰せではござるが、拙者こと、武者修行のために国を出でてより今日まで二年有余、未だ曾《かつ》て道場の門弟方と試合をしたことがない、直々《じきじき》に大先生とのみお手合せを願って来た、しかるに当道場に限ってその例を破ることは、この芳名録の手前、いかにも迷惑致すゆえに、ぜひぜひ、大先生とのお手合せが願いたい――と、いつもやる手で、二年余り熟練し切った口調で、落ちつき払って申し述べる。
そういわれてみると、三宅先生もそれを断わるわけにはゆかない。ぜひなく、それでは拙者がお相手を致すでござろろう。
そこで、三宅先生が支度をして、南竜軒に立向う。
南竜軒は竹刀《しない》を正眼《せいがん》につける。三宅先生も同じく正眼。
竹刀をつけてみて三宅三郎が舌を巻いて感心したのは、あえて気怯《きおく》れがしたわけでもなんでもない、事実、南竜軒なるものの構え方は、舌を巻いて感心するよりほかはないのであった。
最初の手合せで、しかも江戸に一流の名ある道場の主人公その人を敵に取りながら、その敵を眼中におかず、余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》たるその態度。構え方に一点の隙を見出すことができない。
事実、三宅三郎も、今日までにこれほどの名人を見たことがない。心中、甚だ焦《あせ》ることあって、しきりに術を施さんとして、わざと隙を見せるが、先方の泰然自若たること、有るが如く、無きが如く、少しもこっちの手には乗らない。
勝とうと思えばこそ、負けまいと思えばこそ、そこに惨憺《さんたん》たる苦心もあるが、最初から負けようと思ってかかる立合には敵というものがない。しかもその負けることだけに二年有余の修行を積んでいる武芸者というものは、けだし、天下に二人となかろう。余裕綽々たるもその道理である。
この意味に於て南竜軒は、たしかに無双の名人である。
至極の充実は、至極の空虚と一致する。
これを笑う者は、やはり剣道の極意を語るに足りない。道というものの極意もわかるまい。
さて、三宅三郎は、どうにもこうにも、南竜軒の手の内がわからないが、そうかといって、剣術というものは、竹刀を持って突立っているだけのものではない。ものの半時《はんとき》も焦り抜いた三宅氏も、これでは果てしがないと思い切って、彼が竹刀の先を軽く払って面を打ち込んでみた。
「参った!」
その瞬間、南竜軒はもう竹刀を下に置いて、自分は遥かに下にさがって平伏している。三宅氏は呆《あき》れてしまった。
事実、今のは面でもなんでもありはしない。面金《めんがね》に障《さわ》ったかどうかすらも怪しいのに、それを先方は鮮かに受取ってしまったのだから、三宅氏が呆れたのも無理はない。呆れたというよりも寧《むし》ろ恥じ入ってしまったのだ。自分がこの大名人のためにばかにされ、子供扱いにされてしまったように思われるから、顔から火の出るほどに恥かしくなった。
「山本先生、ただいまのは、ほんの擦《かす》り面《めん》、ぜひもう一度お立合を願いたい」
しかるに、相手の大名人は謙遜を極めたもので、
「いやいや恐れ入った先生のお腕前、我々|風情《ふぜい》の遠く及ぶところにあらず」
と言って、どうしても立合わない。
「では、門弟共へぜひ一手の御教授を……」
と願ってみたが、先生に及ばざる以上、御門弟衆とお手合せには及ばずと、これも固く辞退する。止むを得ず、三宅氏は数名の門弟と共に、大名人を招待して宴を張る。
その席上、改めて三宅氏は南竜軒に向い、何人《なんぴと》について学ばれしや、流儀の系統等を相訊《あいたず》ねると――南竜軒先生、極めて無邪気正直に一切をブチまけてしまった。
これを聞いた三宅氏は胸をうって三嘆し、今にして無心の有心《うしん》に勝るの神髄を知り得たり、といって喜ぶ。
道庵先生、この型を行ってみたいのだろうが、そうそう柳の下に鰌《どじょう》はいまい。
二十
田山白雲は、伝馬町の鱗屋《うろこや》という古本屋の前へブラリとやって来て、
「何か面白い本はないかね」
「左様、面白い本は……」
「面白い本があったらひとつ見せてもらいたい」
「ああ、左様左様、面白いものを少しばかり纏《まと》めて手に入れましたから、お目にかけましょう」
「面白いものを纏めて手に入れたのは結構、見せてもらいたい」
白雲が腰をかけると、亭主は書物を山のように持ち出し、
「なかには相当に面白いものがございます」
「どれ……」
「古いのには、年一年面白いものが減って参りますのに、新しい方は、なかなか面白いものが出ませんので困ります」
客が面白い本はないかと言ったので、亭主は面白い本があるという。おたがいに面白ずくで商売をしているようです。
この時分には現代のように、雑誌学問の青二才までが、興味中心だの、芸術本位だのと、歯の浮くようなことを言わなかった時代ですから、面白いという言語の中には、すべて注目に値するほどのものを包含していたのでしょう。ですから翻訳すると、「何か注目に値する書物はないかね?」「ございます、なかなか掘出し物がございます」という程度の意味のものでしょう。
されば佐藤一斎の講義が面白かったという場合もあれば、曲亭主人の小説が面白かったという場合もあります。
白雲がいま求める面白い本というのは、さしあたり着手した洋学の初歩に関する、東洋の美術よりは西洋の美術に関して、何か特殊の知識を与えられるような書物はないかと尋ねた意味でありましょう。
しかし、亭主の取り出して示した山のような書物は、そういった意味の面白い書物ではありませんでした。
「端本《はほん》が多うございますけれども、これだけ種類を集めますのが骨でございます」
「こりゃ大変だ」
山の如く持ち出された書物を、白雲は横目に見て、驚いた顔をしたが、手には取ろうとしません。その書物というのは、白雲の求むるところのものとは違って、旧来ありきたり
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