》する如く、米友は杖槍を投げては受留め、受留めては投げながら、川中島の川原の中でひとり戯《たわむ》れている。戯れながら川原の中を進み行くと、やがてまた茫々として、前後を忘れる。
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「抑々《そもそも》当流ノ元祖戸田清玄ハ宿願コレ有ルニヨツテ、加賀国白山権現ニ一七日ノ間、毎夜|参籠《さんろう》致ス所、何処《いづこ》トモナク一人ノ老人来リ御伝授有ルハ夫《そ》レコノ流ナリ」
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 米友は高らかに戸田流の目録を、そら読みに読み上げました。
 米友のは、戸田流と限ったわけではない。強《し》いて流儀をいえば淡路流《あわじりゅう》ともいうべきもの。本来は野性自然の天分に、木下流の修正を加えて、それからあとは不羈自由《ふきじゆう》であります。自由なるが故に、あらゆる格法を無視することもできる代りに、あらゆる格法を取って以てわが用に供することもできるのであります。ちょっと道場覗きをしてからが、いい形と、いい呼吸を見て取って自得する。
 それで、この男は、別段に師匠の手から切紙、目録、免許といったような印《しるし》を与えられてはいない。そうかといって、自ら進んで米友一流を開くほどの野心も、慢心も、持合せていない。
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「先ヅ槍ヲ以テ敵ニ向ヒ、切折ラレテ後、棒トナル、又棒切折ラレテ半棒トナル……」
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 そこで彼は独流の型を使いはじめました。槍から棒に変化し、棒がまた半棒に変ずるまでの型を、鮮かにやってのけました。
 自由と、乱雑とは、意味を異にする。修練を経て天分が整理されると、初めて自由の妙境が現われる。自由が発して節に当ると、それが型となって現われる。
 小人は、乱暴と、反抗とを以て、自由なりと誤想する。
 自由は型であり、礼儀であることを知らない。型は人を縛るものに非《あら》ずして、これを行かざれば、大道無きことを人に知らしむる自由の門である。
 型と、礼儀を、重んぜざる者に、大人《たいじん》となり、君子となり、達人となり、名人となり、聖域に至るの人ありという例《ためし》を聞かない。
 だがしかし、型と、礼儀に捉われた人間ほど、憐れむべきものはない。それは人間に非ずして、器械である。
 単に器械だけならばいいが、その器械が、圧搾器械でもあった日には、人間の進歩を害することこれより大なるはない。
 ある者は型から入って自由の妙境に遊び、ある者は野性を縦横に発揮して、初めて型の神妙を会得《えとく》する。
 無論、宇治山田の米友のは、その後者に属するものであります。
 今や、米友は陶然《とうぜん》として、その型に遊ぶの人となりました。
 こんなことは滅多にないのです。かつて、甲府城下の闇の破牢の晩に、この盛んなる型を見せたことがありましたが、あの時は如法暗夜《にょほうあんや》のうちに、必死の努力でやりました。今夜のは月明のうち、興に乗じて陶然として遊ぶのです。
 その型の美しさ――すべての芸道において、型の神妙に入ったものは、先以《まずもっ》て美しいというよりはいいようがない。
 惜しいことにこの美しさを見るものが、月と、水とのほかにはありません。
 米友が陶然として型に遊んでいる時、その型を破るものは道庵先生の声であります。
「こいつは堪《たま》らねえ、こいつは堪らねえ」
 道庵が突如として、うろたえ声で騒ぎ出しましたから、米友が、一議に及ばず馳《は》せ参じました。
 見れば莚の上に眼を醒《さ》ました道庵は、合羽《かっぱ》をかなぐり[#「かなぐり」に傍点]捨てて頻《しき》りにうろたえている。
 聞いてみると、今まで自分がいい心持で眠っているところへ、不意に何物か現われて、鼻っぱしをガリガリと噛《かじ》ったものがあるから、驚いて跳ね起きたところだという。
 鼻っぱしをガリガリと噛られては堪らない。しかし、よく見れば道庵の鼻は完全に付いているし、四方《あたり》を見ても、何物も道庵を脅《おびやか》しに来たものの形跡を認められない。
「危《あぶ》ねえ、危ねえ、こんなところに泊っちゃあいられねえ、たしかに今、おれの鼻っぱしを噛りに来た奴がある」
といって道庵は、しきりにおびえながら、その荷物を掻《か》き集めて、こんなところには一刻もいられないというような身ぶりをする。
 ははあ、それでは、さいぜんのあの犬に似て犬でないのがやって来て、道庵の寝込みを襲ったのか。
 慌《あわ》てながら、うろたえている道庵を見ると、ブルブルと胴ぶるいが止《や》まない。怖いばかりではない、寒いのだ。酔っているうちこそいい心持で寝ていたが、多少醒めては、川原のまん中へ莚敷《むしろじき》では堪るまい。怖いのでうろたえているのか、寒いのに怖れをなしたのか、とにかく、眼を醒《さ》ました道庵が、一刻もここにいられないという心を起したことは確かですから、米友も出立の用意をする。
 出立の用意といったところで今は真夜中過ぎ、一里の道を善光寺に着いたところで、まだ戸をあけている家はあるまい。第一、つい眼のさきの丹波島《たばじま》の渡し場だって、舟を出すまいではないか。しかし思い立つと留めて留まらぬ道庵ではある。米友もぜひなく莚を巻いて丹波島の渡し場まで来ました。
 さて渡し舟はつなぎ捨てられてあるが、眠っている船頭を起すも気の毒。
 道庵が心得顔に小声で米友をそそのかし、そっとその舟を引き出して乗る。
 犀川の渡し、ここを俗に丹波川という。水勢甚だ急にして、出水のたびに渡し場が変る。水の瀬が早くて棹《さお》も立たない。たぐり縄で舟を渡す。
 背の低い米友、やっとそのたぐり縄に縋《すが》りついたが、それを操《あやつ》ることは妙を得ている。ともかくも舟は中流に乗出す。もし、船頭が眼でも醒まそうものなら、一悶着《ひともんちゃく》を免れないが、幸いにその事もなく舟は向うの岸に着く。
 飛び上った道庵は、月の光で朧気《おぼろげ》に立札の文字を読むと、平水の時は一人前五十文と書いてある――そこで百文の銭を取揃えて、舟板の上に並べて置いて、申しわけをしたつもり。
 ほどなく権堂《ごんどう》の町へ入るには入ったが、どことて今時分、起きている気紛れはない。二三軒、宿屋を叩いてみたけれど、起きて待遇《もてな》そうという家もない。
 後町から大門前《だいもんまえ》まで来る。道庵先生、しきりに胴ぶるいをつづけているが、そこは負惜み、もう二時《ふたとき》もたてば夜が明けるだろう、夜が明けたら最後、善光寺の町をひっくり返してくれよう。それまではまず山門の隅なりと借りて一休み――
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「江戸へ五十七里四町
日光へ六十里半
越後新潟へ四十八里二十七町」
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と大きな道標《みちしるべ》を横に睨まえ、もうこれ、ともかく五十七里も来たかなと呟《つぶや》きながら、善光寺の境内《けいだい》へはいって行く。
 本来、上方《かみがた》を目的とする旅だから、追分から和田峠を越して下諏訪へ出るのが順序なのを、そこがまた道庵の気性で、信濃へ来て善光寺へ参詣をしないのは、仏を作って魂を入れぬものだと意地を張ったばっかりで、こんな寒い思いもする。

         十八

 それでも、どうかこうか、二人は善光寺本堂の外陣のお通夜の間に入り込んで、数多《あまた》の群衆の中へ割込みました。
 ほどなく朝参りの団体も押しかけて来る。善光寺の内外は人で満たされる。
 道庵は、お通夜と朝参りの群衆の中へ坐り込んで、人の温気《うんき》でいい心持になり、前後も知らず居眠りの熟睡をはじめる。
 これによって見ると、道庵は善光寺へ参拝に来たのだか、居眠りに来たのだかわからない。米友はまた群衆の中に坐り込んでは、しきりに抹香《まっこう》の煙に巻かれている。
 なんてまあ、人の混むお寺だろう。今日は特別に御縁日ででもあるのか知ら。いったい善光寺様、善光寺様と崇《あが》めて、こんな山奥へ諸国の人が集まるのがわからない。
 そこで米友が、隣席の有難そうなお婆さんに訊ねてみると、お婆さんのいうことには――
 この善光寺様には、日本最初の阿弥陀如来様《あみだにょらいさま》の御像があるということ。
 人生れてこの寺に詣《もう》ずれば、浄土の往生疑いなしということ。
 そこで、このお寺は一宗一派のものではなく、このお寺の御本尊様は、日本の仏像の総元締、神様でいえば伊勢の大神宮様と同じこと。
 大神宮様所在の御地を神都と呼ぶからには、ここは仏様の仏都ともいうべきところだと説明する。
 米友は、ははあ、そういったものかと思う。自分はその伊勢の大神宮様のお膝元で生れたのだが、してみればここに参詣するのも、神仏おのおの異った因縁があるのかも知れないと思う。
 しかし、伊勢の大神宮様の内苑は、森厳《しんごん》にして犯すべからざるものがあるのに、このお寺の中の賑やかなこと。
 暁の光、いまだに堂内に入らざるに、香の煙は中に充ちわたり、常燈《じょうとう》の明りおぼろなるところ、勤行《ごんぎょう》の響きが朗々として起る。鬱陶《うっとう》しいようでもあり、甘楽《かんらく》の夢路を辿《たど》るようでもある。坐っているうちに、なんとなく温かくなり、有難くもなって、妙な世界へ引込まれた心持で、米友は坐っていると、
「お階段めぐり」
という声で、その周囲の連中がゾロゾロと立ち上る。立ち上っていいのか、悪いのか、わからないのは米友。相変らず熟睡の居眠りから醒めない道庵。
「先生!」
 米友はそこで、道庵を呼び起しました。
 道庵を促してお階段めぐりも終り、やがて廊下へ出て御拝《ごはい》の蔭で草鞋《わらじ》を履《は》いている道庵と米友。ことに米友は草鞋がけ[#「がけ」に傍点]が渡し場の水でしめって少し堅いから、足へはめるのに多少の苦心を費していると、その頭を上から撫でて通るものがある。
 米友、ひょいと振仰いで見ると、ただいま自分の頭を撫でて通ったのは、気品の高い一人の若い尼さんで、その周囲には数人の従者、相当年配の尼さんがついている。
 人を撫でた[#「人を撫でた」に傍点]真似《まね》をする尼さんだな、と思いながら米友が見送っていると、外陣から廊下階段へ溢《あふ》れ出た善男善女が、その尼さんのお通り筋に並んで、一様に頭を下げてかしこまる。
 若い尼さんは、その跪《ひざまず》いて頭を下げている無数の善男善女を、いちいちその手に持てる水晶の珠数《じゅず》で撫でて行く。おれを撫でたのもあの珠数だな、と米友が思いました。
 米友は、けげんな顔をしてそれを見送っているのに、善男善女は、仰ぎ見ることさえしないで、その尼さんに通りながら撫でられる時、一心に念仏の声を揚げるものもある。この尼さんの一行の過ぐるところ、荒野の中を鎌が行くように、人がはたはたと折れて跪く。跪いて、その珠数を頭に受けることを無上の光栄とし、その法衣の袖に触るることさえが、勿体《もったい》なさの極みとしているらしい。
 何のことだか米友にはよくわからない。ただその通り過ぐるあとで、
「尼宮様」
「尼宮様」
という囁《ささや》きが聞える。
 そこで、道庵と、米友とは、善光寺本堂を立ち出でる。
 通例の客は、まず宿を取ってから後に本堂に参詣するのが順序なのに、道庵と米友は、参籠《さんろう》を済ましてから宿の選択にかかる。
 朝まだき、それでも外へ出て見ると、善光寺平野が一時に開けて、天地が明るく、朝風が身にしみて、急に風物が展開したように思われる。
 明るいところへ出ると、暗いところが疑問になる。あのお階段めぐりなるもの、何の必要があってかわざわざ暗いところへ下りて、人と人とが探り合いながら暗いところを歩くのだ。
 道庵が米友の不審に答えて、あれは有名な善光寺のお階段めぐりといって、ああして暗いところを歩いているうちに、心の正しからぬものは犬になるという言い伝えがあるのだが、われわれもまんざら心が曲ってばかりはいないと見えて、犬にもならずに出て来たという。
 しかし、お前は途中、あの鍵へはさわることを忘れたろう
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