落ちたとは、どうしても思われません。それにしても水を一滴も飲んでいなかったというのが変じゃありませんか。
弁信さん。こういいますと、あなたはきっと、それではなぜ、あの時に引留めなかったとおっしゃるでしょう。
わたしも今になっては、重々それを済まないことと思いますが、あの時の、わたしには、とてもそれをするだけの勇気がなかったことは、前に申し上げた通りなのです。なんにしても、浅吉さんはかわいそうなことをしました。
憎らしいのはあのお内儀《かみ》さんよ。
大勢して、浅吉さんの行方《ゆくえ》を心配して、捜し廻っている間に、平気でわたしのところへ遊びに来たりなんぞして、いよいよ浅吉さんが水に落ちていたという知らせがあった時、わたしの面《かお》を見て嘲笑《あざわら》うような、安心したような、あの気味の悪い面つき。
その時こそ、わたしはあのお内儀さんを憎いと思わずにはいられませんでした」
[#ここで字下げ終わり]
それから二三日経って、お雪はまた弁信への手紙を書き続ける。
[#ここから1字下げ]
「弁信さん――
この二三日、わたしは夢のような恐怖のうちに、暮してしまいました。
それでも毎日、近所の山へ葬られた浅吉さんのお墓参りを欠かしたことはございません。
それだのに、あのお内儀《かみ》さんという人はどうでしょう。使い古し[#「古し」に傍点]の草履《ぞうり》を捨てるのだって、あれより思いきりよくはなれますまい。
わたしが、あのお内儀さんを憎いと思ったのは、そればかりじゃありません。昨日《きのう》のことですね、二人でお湯に入っていると、わたしの身体《からだ》を、あの叔母さんがつくづくと見て、
『お雪さん、あなたのお乳が黒くなっているのね』
というじゃありませんか。
その時、わたしは、乳の下へ針を刺されたように感じました。
弁信さん。
あなただから、わたしはこんなことまで書いてしまうのよ。お乳が黒くなったというのは、娘にとっては堪忍《かんにん》のならない針を含んでいるということを、あなたも御存じでしょうと思います。
わたし、ちっとも、そんな覚えがありません。あろうはずもないじゃありませんか。それだのに、こういう意地の悪いことをいう、叔母さんの舌には毒のあることをしみじみと感じました。何の身に暗いこともないわたしも、その時は真赤になって、返事ができませんでした。もうこの叔母さんという人とは、一緒にお湯にも入るまい、口も利《き》くまい、とさえ思い込んでしまいました。
ですけれども、叔母さんという人はいっこう平気で、わたしに話しかけるものですから、つい、わたしもそれに一言二言挨拶をしてる間に、つい話が進んでしまいます。憎いとも、口惜《くや》しいとも思いながら、ついあの人の口前に乗せられて、先方が言えば言われる通り返事をするようになるのは、自分ながら歯痒いように思われてなりません。いったい、この叔母さんという人は、そう悪い人じゃないのか知らん、悪いとか、憎いとか思うのは、わたしの僻目《ひがめ》というものか知らとまで、自分を疑ってくるようにまでなるのは、ほんとうに自分ながら不思議でなりませんのよ。
弁信さん――
あなたほど、ほんとうによく人を信ずる方はございませんのね。あなたは、いかなる人をでも疑うということができないのね。わたしもできるならば、あなたのように無条件に、すべての人を信じて、疑うということをしたくありませんけれど、あの叔母さんばかりは、信じようとしても、信じきれないで困っています。いっそ、信ぜられないならば、どこまでも信ぜられないままに、思うさまあの叔母さんという人を憎んでやりたいとも思いますが、それもできないわたしは、やっぱり浅吉さんと同じような気の弱い人なのでしょう。わたし、ほんとうに人を憎むか、愛するか、どちらかにきめてしまいたいと、このごろ頻《しき》りにそれを思わせられています。本当に憎むことのできない人は、本当に愛することもできませんのね。
弁信さん。
あなたは違います。あなたは本当に愛することを知っていらっしゃるから、また本当に憎むことを御存じです。ですから、あなたはこうと信じたことを、どなたの前に向っても、たとえその人の一時の感情を害しようとも、自分の将来の身の上に不利益が来《きた》りましょうとも、少しの恐れ気もなく、善いことは善い、悪いものは悪い、と断言をなさることができるのであります。わたしにはそれができませんのよ。
どうかすると、この叔母さんが、あの浅吉さんを殺したのだ――眼前そう疑いながら、あの叔母さんの調子よい口前に乗せられると、本当の心から、あの叔母さんを憎めなくなってしまいますのよ。
今日も学問が済んでから、わたしは浅吉さんのお墓参りにまいります。
弁信さん。
人間には本当のところは、悪人というものは無いものでしょうか――そうでなければこの世に、善人というものは一人も無いのでしょうか。
今まで、人を疑うということを、あんまり知らなかったわたしは、あの叔母さんを見てから、わからなくなりました。
あの時、こんなことをいいましたよ、あの叔母さんは。よく世間で、女でも男でも、捨てられたとか捨てたとかいって、後で泣いたり騒いだりするが、あんなばかげた話はないよ。
もともと、それは関係の出来る時から知れた話じゃないか。誰がお前、いつまでも惚《ほ》れたり腫《は》れたりした時のような心持でいられるものですか。熱くなることもあれば、冷《さ》めることもあってこそ、色恋じゃないか。
冷めたら、さっぱりと切れてしまうことさ。みっともないじゃないか、あとを追い廻して、死ぬの生きるの、手切れをよこせの、やらないのと騒ぐなんぞは。お前さん、色恋をするなら真剣に、まかり間違ったら殺されても恨みのない心持でかからなけりゃ嘘ですよ。
殺したっていいさ。殺されたって恨みっこなし。男なんぞは幾人でも手玉に取っておやりなさいよ。お雪さん、捨てられたの何のって泣《なき》っ面《つら》をしながら、敵《かたき》を討って下さいなんて、飛んでもないところへ泣きつくなんぞは、女の面汚《つらよご》し。自分から触れば落ちそうなよわみを見せて男を誘いながら、後になって、やれ貞操を蹂躙《じゅうりん》されましたの、弄《もてあそ》ばれましたのと、人の同情に縋《すが》ろうとする女は、女の風上《かざかみ》にもおけない――
ずいぶん、乱暴ないい分じゃありませんか。ところが、その乱暴ないい分が、あの叔母さんの平気な口から出ると、耳障《みみざわ》りに聞えないのが不思議のように思われてなりません。
弁信さん。
こうして、わたしが、調子のいい口前に乗せられて、乱暴極まるいい分を、次第次第に本当の事のように信じてしまったらどうでしょう。それを考えると、怖ろしいことではありませんか。わたしがこの叔母さんと同じ心持になって、同じ行いが平気でやってゆかれるようになったら、大変ではありませんか。
お友達の感化というものは怖ろしいものだと、かねて聞かされていました。お友達によって人間は、青くもなれば、赤くもなるのだから、お友達は選ばなければならないということは、子供のうちから充分に教えられていましたが、今のわたしには、選ぶにも、選ばないにも、あの叔母さんのほかに無いじゃありませんか。
弁信さん。
これで今日も学問の時間になりました。炉辺へ行かねばなりません……
ちょっとお待ち下さい。ここで筆を休ませようとしていると、下でなんだか騒々しい人の声が起りましたよ。
おや! あの声は、嘉七さんの声ではないか。
『今、離れ岩んとこで、こねえな女頭巾《おんなずきん》を拾って来たよ、見ておくんなさい、こりゃあ、あの高山の穀屋《こくや》のお内儀《かみ》さんの頭巾じゃあんめえか。縮緬《ちりめん》だよ、安くねえ頭巾だよ……あんなところへ落しておいちゃあ、風で水の中へ吹ッ飛んでしまわあな。穀屋のお内儀さんはおいでなさらねえか、頭巾を拾って参りましたよ』
嘉七さんという人が離れ岩の傍で、女頭巾を拾って来たという。
頭巾はかまいませんが、わたしは、あの離れ岩がいやです。なんだって、お内儀《かみ》さんは、あんなところへ行ったのでしょう。
『高山のお内儀さんは今朝出たまんま、まだ帰らねえよ』
これは、留さんという男の返事。
あのお内儀さんが今朝出たまま帰らない。そうして離れ岩の女頭巾。
弁信さん。
わたしの胸がまた早鐘のように鳴ります。行って確めて来ます。あの叔母さんまでが離れ岩の下の水藻に沈んでしまったのではないか。何だかそう思われてならない」
[#ここで字下げ終わり]
その翌日のお雪の手紙。
[#ここから1字下げ]
「弁信さん――
わたしの胸にハッと来たのは無理ではありませんでした。その晩になるまで、あの叔母さんが、とうとう宿へ戻って参りませんでした。その翌朝も。
そこで、また大騒ぎをして探しに出かけたのですが、その心当りの第一は、どこというまでもありますまい、あの離れ岩です。現にそこには、あの叔母さんの物だろうという女頭巾が落ちていたのみならず、この間の、あの藻の花が、物をいわずにはいません。
因縁事《いんねんごと》のように怖ろしいではありませんか。あの叔母さんが、やはり浅吉さんと同じところの水の中に落ちて、絹糸のような水藻に絡《から》まれて死んでいたのです。それも死に方が同じように、一滴の水も飲まずに、死んでいたということです。
わたしは、何か眼に見えない縄が、わたしたちの周囲に犇々《ひしひし》と取巻いて、その縄に触れようものなら、誰でも容赦のない力のあることを感じて、身も世もあらぬ思いをせずにはおられません。
この続けざまな不祥の出来事に、宿にいる人たちの評判は区々《まちまち》です。
浅吉さんと、あの叔母さんとの間を、最初から知っているものは、浅吉さんの死を悲しんで、あの叔母さんがその後を追ったのだということを、言っています。つまり、あれは別々の心中だといってしまう人もあって、後から来た人たちは大抵その意見に従って、あれを離れ離れの心中だと見てしまう者が多いのですが、わたしには決してそうは思われません。あの叔母さんという人が、浅吉さんの後を追って死なねばならぬほど、人情のある人であったかどうか、この手紙をごらんになればおわかりになるはずです。
といって、二人まで続いて同じところで怪我をして、水に溺れて死ぬというようなこともありようはずはありますまい。
どう思い詰めたって、あの叔母さんが、自分で死ぬ気になんぞなるもんですか。
そんならば――わたしは、あれこそ浅吉さんの魂が、あの叔母さんを、同じところへ引き込んで殺したものだとしか思われません。そうでなければ、ほかに解釈のしようがないじゃありませんか――
それからまた、ある人は、その前の日、あの叔母さんが、吉田先生と一緒に、沼の辺《ほとり》を歩いていたのを見たというものがありますが――吉田先生とは机竜之助様のこと――それはなんでもありません。何かであったところで、その日は、叔母さんはちゃんと宿へ帰っていますし、姿の見えなくなったのはその翌日からのことで、その翌日から今日まで、先生はちゃんと三階の柳の間に休んでおられます。尤《もっと》も時折、先生は眼を冷しに外へおいでにはなりますが、いつか知れないように戻っては休んでしまわれたり、また静かに坐って考えておいでになるばかりですから、誰も先生を疑う意味で、そんな噂を始めたのではありません。ただ、その先の日に、あの先生と叔母さんとが、沼の辺《ほとり》を一緒に歩いていたのを見たということだけが、ちょっと人の口の端に上っただけなのです。あの先生はまだ、こんな出来事を御存じはありますまい。わたしもなるべくお知らせをしたくないと思っています。鐙小屋《あぶみごや》の神主さんは、また室堂《むろどう》へ上って行《ぎょう》をしておいでなさるのだから、誰もそのほかに、あの沼の傍へ立入る者は無いはずです。嘉七さんは白樺《しらかば》の皮を取りにあの辺へ通りかかって、そうして頭巾を見つけ出して来たまでです。ああ、また今夜はみんなしてお
前へ
次へ
全36ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング