から、たとえ、どなた様に致せ、抵当が無くて、金銭を御用立て申すというわけには参りません、お気に障《さわ》ったら御免下さいまし」
七兵衛はそういいながら、後ろの壁に押付けてあった鎧櫃《よろいびつ》を引き出して来ました。いつの間にか、お賽銭箱《さいせんばこ》が鎧櫃にかわっている。それを引き出して来た七兵衛は、並べた金銀の包みを、次から次へとこの鎧櫃の中へ蔵《しま》いはじめました。
お絹は、その手つきを冷笑気分で見ていましたが、そう思って見るせいか、七兵衛の金を蔵う手つきまでが堪らなく気障《きざ》です。
「恐れ入りますが、そいつをひとつ……その見本をこっちへお返しなすっていただきましょう」
ふいと気がついたように七兵衛は、お絹に向って最初に提示した慶長小判をはじめ、見本の金銀を、お絹の手元まで受取りに出ました。
「持っておいで」
お絹は脇息《きょうそく》の上から、ザラリと金銀の見本を投げ出しました。
それをいちいち御丁寧に拾い上げた七兵衛、
「あああ、私という人間が、こんなに金を蓄えて何にするつもりなんでしょう、気の知れない話さ、女房子供があるわけじゃなし、妾《めかけ》、てかけを置いて栄耀《えいよう》しようというわけじゃなし、これがまあ本当に宝の持腐れというやつかも知れませんが、金というやつは皮肉なやつで、欲しくないところへは無暗に廻って来るし、欲しいと思うところへは見向きもしない……」
「知らないよ」
お絹が横を向きました。
「だが、金というやつは、有って邪魔になる奴じゃなし、そばへ置いとくと、いよいよ可愛くなる奴だが、足が早いんで困ります、金銭のことをお足とは、よくいったものさ、捉まえたと思うと、逃げ出したがる奴で、よく世間で、可愛いい子には旅をさせろというが、この息子ばかりは、野放しにしておいた日には締りがつかねえ」
といいながら、七兵衛は、一つ一つ金包を鎧櫃《よろいびつ》の中へ納めます。
「文句をいわないで蔵ったらいいでしょう」
「はいはい」
「どんなに困ったって、わたしは自分の身体《からだ》を抵当にして、お金を貸せなんて決していわないから」
「左様でございましょうとも」
「けがらわしい、早くお蔵いよ」
「これだけの数でございますから、そうは手ッ取り早くは参りません、小さくとも六百坪の地面に、三十坪の一戸だて、火事で焼いたって一晩はかかりますよ」
「いやになっちまうね」
お絹はじれ出しました。それほどいやならば、この場を立って奥へでも行ってしまえばよいのに、いやになりながら、流し目で、七兵衛の運ぶ金包を眺めている。七兵衛はすました面《かお》で、気障《きざ》な手つきで、相変らず、ゆっくりゆっくりと金包を鎧櫃に蔵い込んでいる。なるほど、この手つきで、まだうずたかい金を蔵い込むには、夜明けまでかかるかも知れない。
七兵衛も気が知れない男だが、口では早く蔵えの、いやになるのといいながら、それを横目で見て見ない態度《ふり》をしながら、いつまでも坐っているお絹の気も知れない。
「七兵衛さん」
「え」
「覚えておいで」
と言って、不意にお絹が立ち上って奥の方へ行ってしまいますと、そのあとで七兵衛は、鎧櫃のそばへゴロリと横になりました。
十三
神尾主膳はこのごろ「書」を稽古しています。これ閑居して善をなすの一つ。
そこへお絹がやって来て、
「ねえ、あなた」
殿様とも、若様ともいわず、あなたといって甘ったるい口。
「何だ」
主膳は法帖とお絹の面《かお》を等分に見る。
「七兵衛のやつ、いやな奴じゃありませんか」
「ふーむ」
主膳は、サラサラと文字を書きながら聞き流している。
「もう今日で七日というもの、ああやって頑張《がんば》って、動こうともしないで、見せつけがましい金番をしているのは、なんて図々しい奴でしょう」
「ふーむ」
主膳は同じく聞き流して、サラサラと入木道《にゅうぼくどう》を試みる。
「それで、夜になると、何ともいえないいやな手つきをして銭勘定を始めるのです、昨晩なんぞはごらんなさい……」
お絹が躍起になる。主膳は入木道の筆を休めて面を上げると、朝日が障子に墨絵の竹を写している。
「他ノ珍宝ヲ数エテ何ノ益カアルト、従来ソウトウトシテ、ミダリニ行《ぎょう》ズルヲ覚ウ……」
と神尾主膳が柄《がら》にもないことを呟きました。けれどもお絹の頭には何の効目《ききめ》もなく、
「昨晩あたりの気障さ加減といったら、お話になったものじゃありません、慶長小判から今時《いまどき》の贋金《にせがね》まで、両がえ屋の見本よろしくズラリと並べた上、この近所の地面を買いつぶして、坪一両あてにして何百両、それに建前や庭の普請を見つもってこれこれ、ざっと三千両ばかりの正金を眼の前に積んで、この辺でお気に召しませんか、お気に召さなければそれまでといいながら、またそのお金を、何ともいえないいやな手つきで蔵《しま》いにかかるところなんぞは、男ならハリ倒してやりたいくらいなものでした」
「ふふん」
と神尾主膳が嘲笑《あざわら》い、
「それほど、いやな手つきを、眺めているがものはないじゃないか」
「だって、あなた、手出しはできませんもの」
「手出しができなければ、引込んでいるよりほかはない」
「なんとでもおっしゃい、引込んでいられるくらいなら、こんな苦労はしやしませんよ」
「ふーむ」
「あなたは、お坊っちゃんね、そうして、のほほんで字なんか書いていらっしゃるけれど、わたしの身にもなってごらんなさい、火の車の廻しつづけよ」
「ふーむ」
「今、外へ出ようったって、箪笥《たんす》はもう空《から》っぽよ」
「ふーむ」
「わたしも、この通り着たっきりなのよ、芝居どころじゃない、明るい日では、外へ用足しに出る着替もなくなってしまってるじゃありませんか。これから先、どうしましょう」
「なるほど」
「なるほどじゃありません、何とか心配をして下さいましな、わたしの酔興ばかしじゃありませんよ、一つは、あなたを世に出して上げたいから」
「それはわかっている。そこでひとつ、俺も足立とも相談をして、何とか動きをつけようとたくらんでいるところだ」
「そんな緩慢なことをおっしゃっている時節ではござんすまい、現在、眼の前にあの通り、金銀の山が転がり込んでいるじゃありませんか、あれをどうにもできないで、指を啣《くわ》えて見ているなんてあんまりな……」
「いけない、ああいうのはいけない、度胸を据《す》えてかかっている仕事には、武田信玄でも手が出せない」
「ホントに焦《じれ》ったい」
酔わない時は、神尾にもどこか鷹揚《おうよう》なところがある。お絹はそれを焦ったがっている。
「ねえ、あなた、今日は七兵衛の奴が珍しくどこかへ出かけてしまいました、その後に鎧櫃《よろいびつ》が置きっ放しにしてありますから、見るだけでも見て下さい」
「鎧櫃がどうしたの」
「その鎧櫃の中に、見せびらかしの金銀がいっぱい詰め込んでありますのを、置きっ放して七兵衛の奴が、珍しく早朝からどこかへ行きましたから、見るだけ見ておやり下さいと申し上げているのです」
「見たって仕方がないじゃないか、金銀は見るものではなくて使うものだ、使えない金銀は、見たって仕方がない」
「あれだ、あれだから、お殿様は仕方がない――」
とお絹は神尾主膳の膝をつっつきました。酒乱の兆《きざ》さない時の神尾主膳は、つっつきたくなるほどに気のよく見えることもある。
「仕方がないったって仕方がない――無い袖は振れないから」
「有り過ぎるのです、鎧櫃の中には、金銀のお銭《あし》が有り過ぎて唸《うな》っているじゃありませんか。天の与うるものを取らざれば、禍《わざわい》その身に及ぶということを御存じはありませんか」
「ははあ、天の与うるもの……」
主膳は、うんざりして、もう入木道をサラサラとやる元気もないらしい。
「つまり、わたしたちに使わせたいと思って、七兵衛の奴が、ああしてもち運んで来たものでしょう、それを使ってやらなければ、あなた、冥利《みょうり》に尽きるじゃありませんか」
「だから、お前の知恵で、いくらでも引出して、お使いなさい」
「けれども、相手が悪いから、わたしの知恵ばかりでは、どうにもなりません」
「お前の知恵でやれないことは、拙者にもやれようはずがない」
「三人寄れば文殊《もんじゅ》の知恵とありますから、何とか知恵をお貸し下さいまし、ほんとにひとごとではありますまい」
「いけない、隠すやつなら何とか方法もあろうが、持ち出して見せるやつが取れるものか」
「いいえ、取れます、その道を以てすれば……」
「その道とは?」
「その道が御相談じゃありませんか。まあ、ともかくも、見るだけごらん下さいまし、現在、眼の前にある宝の山をごらんになれば、また別な知恵が出ない限りもありますまい」
「では、まあ、ともかく見に行こう」
神尾主膳は、とうとうお絹に引きたてられて、七兵衛の籠《こも》っていた座敷へ、廊下伝いに出て行きました。
それは申すまでもなく、昨晩、百目蝋燭を二つまでともして、七兵衛が金銀の山を築いていた座敷。日中になると、かえって暗澹《あんたん》として、物凄《ものすご》いような座敷。
この七日間というもの、仕出し弁当を取って頑張っていた七兵衛が、どうしたものか今日は朝から不在。
この座敷の当座の主人が不在にかかわらず、鎧櫃だけは八畳敷の真中に、端然として置き据えられてある。
主膳はズッとこの座敷の中へ入り込んで、鎧櫃の傍へ近寄りましたが、お絹はわざと座敷へは入らず、廊下の外に立って、少々気を配っているのは、もしや七兵衛が帰って来たら、と見張りの体《てい》に見えます。
鎧櫃の上に手をかけてみた神尾主膳。あの百姓め、どこからこんな洒落《しゃれ》た具足櫃を持って来たという見得《みえ》で、塗りと、前後ろと、金具をちょっと吟味した上で、念のために蓋《ふた》へ力を入れてみたが、錠が堅く下りている。ちょっと押してみると手応えが重い。
果して、お絹のいう通り、これへいっぱいの金銀が詰めてあるとすれば、その量は莫大なものといわなければならぬ。
女の眼には、無垢《むく》も、鍍金《めっき》もわかりはしない。ただ黄金の光さえしていれば、容易《たやす》く眩惑されてしまうのだ――と主膳は冷笑気分になりました。
やがて張番していたお絹もやって来て、言い合わしたように、二人が鎧櫃の前後に手をかけて動かしてみたけれど、ビクとも応えません。
事実、この中へ、いっぱいの金銀が入っているなら――金銀でなく、贋金《にせがね》であっても、これへいっぱい詰められていた日には、一人や二人の手では、ちょっと始末にゆかない。
この暗澹たる座敷の中で、鎧櫃を前に、二人は顔見合わせて笑いました。
笑ったのがきっかけで、主膳は手持無沙汰の態《てい》でこの座敷を出かけると、お絹もついて座敷を出る。神尾は以前の居間へ戻ったが、もう法帖どころではない。
お絹も、そわそわとして落着かない。
気の知れないのは七兵衛で、この七日の間、夜も、昼も、仕出し弁当で鎧櫃《よろいびつ》の傍に頑張っていながら、今日という日になると、朝から出かけて、正午《ひる》時分になっても、夕方になっても、とうとう夜になっても帰って来ない。
それを気にしているのは、むしろ神尾主膳とお絹とで、お絹の如きは幾度、その廊下を行きつ、戻りつして、この座敷を覗《のぞ》いて見るたびに、昼なお暗い室内に人の気配はなく、鎧櫃のみがビクとも動かずに控えている。
それを見るとホッと息をつきながら、また新たに心配のようなものが加わる。
ついにその夜が明けるまで、七兵衛は帰って来ませんでした。七兵衛が帰って来ないでも、鎧櫃の厳然たる形は少しも崩れてはいない。こうなると厳然たる鎧櫃そのものが判じ物のようになって、財宝を残して行った当人よりも、残されて行った他人の方が、心配の負担を背負わされる。
知らず識らず、神尾と、お絹とは、この鎧櫃の番人にされてしまいました。代る代る二人が見廻りに来る。来
前へ
次へ
全36ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング