ければしかるべき保証を以て、送り届けてやらねばならぬと考えました。
しかし、差当っての問題は、今夜の問題で、この娘をどの室へ泊めるかということです。金椎と同室に置いて、もし夜中に脱走でもされた日には困る。一人ではいよいよ寝かされない。そうかといって自分の部屋へ寝かすことは、自分が困る……駒井は、ひそかにこの問題に苦心しているのを、娘は自分でズンズンと解決してしまいました。なぜならば、食事が終ると、やはり我物顔で、以前の室の寝台の上に身をのせてしまったからです。
ぜひなく駒井はその室へ錠を卸し、自分は金椎と共に、別の室で寝ることにしました。
十一
宇津木兵馬と、仏頂寺弥助と、丸山勇仙の三人は、八ヶ岳と甲斐駒の間を、西に向って急いでいる。
途中、武術の話。
仏頂寺は、世間を渡り歩いて、兵馬の知らない話をよく知っている。
この人は前にいう通り、斎藤弥九郎の門下で有数の使い手。今こそ亡者の数には入っているが、その武芸談には、なかなかに聞くべきものがある。
しかし、ややもすれば芸に慢じて、己《おの》が師をさえ侮るの語気を漏らすことがある。それが聞く人を不快にする。
丸山勇仙は九段の斎藤の道場、練兵館の話をする。斎藤と、長州系との関係を語る。そのうち、長州の壮士が相率いて練兵館を襲い、弥九郎の二男、当時|鬼歓《おにかん》といわれた歓之助のために撃退された一条を物語る。その仔細はこうである。
はじめ――嘉永の二年ごろ、斎藤弥九郎の長男新太郎が、武者修行の途次、長州萩の城下に着いた。宿の主人が挨拶に来た時に、新太郎問うて曰《いわ》く、
「拙者は武者修行の者であるが、当地にも剣術者はあるか」
主人の答えて曰く、
「ある段ではございませぬ、当地は名だたる武芸の盛んな地でございまして、近頃はまた明倫館という大層な道場まで出来まして、優れた使い手のお方が、雲の如く群がっておりまする。あれお聞きあそばせ、あの竹刀《しない》の音が、あれが明倫館の剣術稽古の響きでございます」
新太郎、それを聞いて喜び、
「それは何より楽しみじゃ、明日はひとつ推参して、試合を願うことに致そう」
そこで、その夜は眠りについて、翌日、明倫館に出頭して、藩の多くの剣士たちと試合を試みて、また宿へ戻って、風呂を浴びて、一酌を試みているところへ、宿の主人がやって来る。
「いかがでございました、今日のお試合は」
新太郎、嫣乎《にっこり》と笑うて曰く、
「なるほど、明倫館は立派な建物じゃ、他藩にもちょっと類のないほど宏壮な建物で、竹刀《しない》を持つものもたくさんに見えたが、本当の剣術をやる者は一人もない、いわば黄金の鳥籠に雀を飼っておくようなものだ」
これは、新太郎として、実際、そうも見えたのだろうし、また必ずしも軽蔑の意味ではなく、調子に乗って言ったのだろう。だが、この一言が、忽《たちま》ち宿の主人の口から、剣士たちの耳に入ったから堪らない。
「憎い修行者の広言、このまま捨て置いては、長藩の名折れになる」
かれらは大激昂で新太郎の旅宿を襲撃しようとする。老臣たちが、それを宥《なだ》めるけれど聞き入れない。止むを得ず、急を新太郎に告げて、この場を立去らしめた。新太郎は、それに従って、一行を率いて、その夜のうちに九州へ向けて出立してしまったから、わずかに事なきを得たが、あとに残った長州の血気の青年が納まらない。
「よし、その儀ならば、九州まで彼等の跡を追っかけろ」
「彼等の跡を追いかけるよりも、むしろ江戸へ押し上って、その本拠をつけ。九段の道場には、彼の親爺《おやじ》の弥九郎も、その高弟共もいるだろう、その本拠へ乗込んで、道場を叩き潰《つぶ》してしまえ」
長州の青年剣士ら十余人、猛然として一団を成して、そのまま江戸へ向けて馳《は》せ上る。その団長株に貴島又兵衛があり、祖式松助がある。
そこで、彼等は一気に江戸まで押し通すや否や、竹刀と道具を釣台に舁《かき》のせて、麹町九段坂上三番町、神道無念流の師範斎藤篤信斎弥九郎の道場、練兵館へ押寄せて、殺気満々として試合を申し込んだものだ……
誰も知っている通り、当時、江戸の町には三大剣客の道場があった。神田お玉ヶ池の北辰一刀流千葉周作、高橋|蜊河岸《あさりがし》の鏡心明智流の桃井春蔵《もものいしゅんぞう》、それと並んで、練兵館の斎藤弥九郎。おのおの門弟三千と称せられて、一度《ひとたび》その門を潜らぬものは、剣を談ずるの資格がない。
殺気満々たる長州の壮士連十余人の一団は、斎藤の道場を微塵《みじん》に叩き潰《つぶ》す覚悟をきめてやって来たのだから、その権幕は、尋常の他流試合や、入門の希望者とは違う。
ところで、これを引受けた斎藤の道場には、長男の新太郎がいない。やむなく、次男の歓之助が出でて応《あしら》わねばならぬ。
歓之助、時に十七歳――彼等壮士の結構を知るや知らずや、従容《しょうよう》として十余人を一手に引受けてしまった。
もとより、修行のつもりではなく、復讐《ふくしゅう》の意気でやって来た壮士連。立合うつもりでなく殺すつもり。業《わざ》でいかなければ、力任せでやっつけるつもりで来たのだから、その猛気、怒気、当るべからざる勢い。歓之助、それを見て取ると、十余人を引受け、引受け、ただ単に突きの一手――得意中の得意なる突きの一手のほか、余手を使わず、次から次と息をつかせずに突き伏せてしまった。
哀れむべし、長州遠征の壮士。復讐の目的全く破れて、十余人の壮士、一人の少年のために枕を並べて討死。宿へ引取ってから咽喉《のど》が腫《は》れて、数日間食物が入らず、病の床に寝込んだものさえある。
長人の意気愛すべしといえども、術は格別である。中央にあって覇を成すものと、地方にあって勇気に逸《はや》るものとの間に、その位の格段がなければ、道場の権威が立つまい。
しかし、貴島又兵衛あたりは、このことを右の話通りには、本藩へ報告していないようだ。
貴島は、長藩のために、のよき剣術の師範物色のため、江戸へ下り、つらつら当時の三大剣客の門風を見るところ、斎藤は技術に於ては千葉、桃井には及ばないが、門弟を養成する気風がよろしい――というような理由から、国元へ斎藤を推薦したということになっている。
ところで、これはまた問題だ。右の三大剣客の技術に、甲乙を付することは、なかなか大胆な仕事である。貴島又兵衛が、斎藤弥九郎の剣術を以て、桃井、千葉に劣ると断定したのは、何の根拠に出でたのか。この三巨頭は、一度《ひとたび》も実地に立合をした例《ためし》がないはず。
千葉周作の次男栄次郎を小天狗と称して、出藍《しゅつらん》の誉れがある。これと斎藤の次男歓之助とを取組ましたら、絶好の見物《みもの》だろうとの評判は、玄人筋《くろうとすじ》を賑わしていたが、それさえ事実には現われなかった。もし、また、事実に現わして優劣が問題になった日には、それこそ、両道場の間に血の雨が降る。故に、それらの技術に至っては、おのおの見るところによって推定はできたろうが、断定はできなかったはず。
丸山勇仙は当時、長州壮士が練兵館襲撃の現場に居合せて、実地目撃したと見えて、歓之助の強味を賞揚すると、仏頂寺のつむじ[#「つむじ」に傍点]が少々曲りかけて、
「それは歓之助が強かったのではない、また長州の壮士たちが弱かったというのでもない、術と、力との相違だ、手練と、血気との相違だ、いわば玄人《くろうと》と、素人《しろうと》との相違だから、勝ってもさのみ誉れではない――その鬼歓殿も九州ではすっかり味噌をつけたよ」
という。人が賞《ほ》めると、何かケチをつけたがるのが、この男の癖と見える、特に悪意があるというわけではあるまい。ただ、白いといえば、一応は黒いといってみたいのだろう。それでも兵馬は気になると見えて、
「歓之助殿が九州で、何をやり損ないましたか」
「さればだよ、九州第一といわれている久留米の松浦波四郎のために、脆《もろ》くも打ち込まれた」
「え」
兵馬はそのことを奇なりとしました。練兵館の鬼歓ともいわれる者が、九州地方で脆くも後《おく》れを取ったとは聞捨てにならない。
斎藤歓之助は、江戸においての第一流の名ある剣客であった。それが九州まで行って、脆くも後れを取ったということは、剣道に志のあるものにとっては、聞捨てのならぬ出来事である。
兵馬に問われて仏頂寺が、その勝負の顛末《てんまつ》を次の如く語りました。
久留米、柳川は九州においても特に武芸に名誉の藩である。そのうち、久留米藩の松浦波四郎は、九州第一との評がある。九州に乗込んだ斎藤の鬼歓は、江戸第一の評判に迎えられて、この松浦に試合を申し込む。そこで江戸第一と、九州第一との勝負がはじまる。
これは末代までの見物《みもの》だ。その評判は、単に久留米の城下を騒がすだけではない。
歓之助は竹刀《しない》を上段に構えた。気宇は、たしかに松浦を呑んでいたのであろう。それに対して松浦は正眼に構える。
ここに、満堂の勇士が声を呑んで、手に汗を握る。と見るや、歓之助の竹刀は電光の如く、松浦の頭上をめがけて打ち下ろされる。波四郎、体を反《そ》らして、それを防ぐところを、歓之助は、すかさず烈しい体当りをくれた――突きは歓之助の得意中の得意だが、この体当りもまた以て彼の得意の業《わざ》である――さすがの松浦もそれに堪えられず、よろよろとよろめくところを、第二の太刀先《たちさき》。あわや松浦の運命終れりと見えたる時、彼も九州第一の名を取った剛の者、よろよろとよろけせか[#「せか」に傍点]れながら、横薙《よこな》ぎに払った竹刀が、鬼歓の胴を一本!
「命はこっちに!」
と勝名乗りをあげた見事な働き。これは敵も、味方も、文句のつけようがないほど鮮かなものであった。
江戸第一が、明らかに九州第一に敗れた。無念残念も後の祭り。
無論、この勝負、術の相違よりは、最初から歓之助は敵を呑んでかかった罪があり、松浦は、謹慎にそれを受けた功があるかも知れないが、勝負においては、それが申しわけにはならない。
仏頂寺は兵馬に向って、この勝負を見ても、歓之助の術に、まだ若いところがあるという暗示を与え、丸山が激賞した逆上《のぼせ》を引下げるつもりらしい。
「惜しいことをしましたね」
と兵馬は歓之助のために、その勝負を惜しがると、仏頂寺は、
「全く歓殿のために惜しいのみならず、そのままでは、斎藤の練兵館の名にもかかわる。そこで雪辱のために、吉本が出かけて行って、見事に仇を取るには取ったからいいようなものの」
と言いました。
「ははあ、どなたが、雪辱においでになったのですか、そうしてその勝負はどうでした、お聞かせ下さい」
「吉本が行って、松浦を打ち込んで来たから、まあ怪我も大きくならずに済んだ」
といって仏頂寺は、斎藤歓之助のために、九州へ雪辱戦に赴いた同門の吉本豊次と、松浦との試合について、次の如く語りました。
無論、吉本は歓之助の後進であり、術においても比較にはならない。しかし、この男はなかなか駈引がうまい。胆があって、機略を弄《ろう》することが上手だから、変化のある試合を見せる。歓之助すらもてあました相手をこなし[#「こなし」に傍点]に、わざわざ九州へ出かけて、松浦に試合を申しこみ、さて竹刀を取って道場に立合うや否や、わざと松浦の拳をめがけて打ち込み、
「お籠手《こて》一本!」
と叫んで竹刀を引く。
「お籠手ではない、拳だ」
松浦は笑いながら、その名乗りを取合わない。無論、取合わないのが本当で、戯《たわむ》れにひとしい振舞で、一本の数に入るべきものではない。
ところが、吉本豊次はまた何と思ってか、取合わないのを知らぬ面《かお》で、竹刀《しない》をかついで道場の隅々をグルグル廻っているその有様が滑稽なので、松浦が、
「何をしている」
と訊《たず》ねると、吉本は抜からぬ顔で、
「ただいま打ち落した貴殿の拳を尋ねている」
この一言に、松浦の怒りが心頭より発した。
松浦の怒ったのは、吉本の思
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