えたのもございます、名物の二八|蕎麦《そば》ののびたのもございます、休んでおいでなさいませ」
道庵、いかに、ジタバタしても、もう動きが取れません。
よし、こうなる以上は、この茶屋へも話しておき、どこぞしかるべき宿へみこしを据えてから、人を走らせて米友を招くに如《し》かじ、と決心しました。その途端に、
「ねえ、旅のお先生、わたしどもへお泊りなさんし、玉屋でございます」
あだっぽい飯盛女が、早くも道庵の荷物に手をかけたものですから、道庵も鷹揚《おうよう》にうなずいて、その案内で桝形の木戸から、軽井沢の宿へ入り込んだものです。
「ははあ」
道庵は物珍しげに軽井沢の町を見廻して、頭上にけぶる、信濃なる浅間ヶ岳に立つ煙をながめ、
「ははあ、いよいよ信濃路かな。一茶の句に曰《いわ》く、信濃路や山が荷になる暑さかな……ところが今はもう暑くねえ」と嘯《うそぶ》きました。
時は、無論、山が荷になるほどの暑い時候ではなかったけれど、さりとてまだ、ゆきたけつもり[#「ゆきたけつもり」に傍点]て裾の寒さよ、とふるえ出すほどの時候でもありません。
幸いにして碓氷峠《うすいとうげ》は紅葉の盛りでありま
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