を修業せねばならぬと奨励している。水戸中納言の弟、余九麿を一橋殿へ呼び寄せる時のお達し[#「お達し」に傍点]も、芸術のお世話ということで許されている。けれどもそれが今のように流行語となったのは、ある時、三日月という侠客が日本橋あたりで、勤番の侍と喧嘩をし、
「うぬ、三ぴん、待ちやあがれ」
と言って、その侍を十余人というもの、瓜《うり》か茄子《なす》をきるように、サックサックと斬り伏せたのが評判になると、弟子を連れてこれを検分に出向いたある剣術の先生が、
「よく斬りは斬ったが、芸術になっていない」
というと弟子共が、
「なるほど、芸術にはなっておりませんな」
と追従《ついしょう》をいったことから始まって、芸術になっている、いないということが、花柳界にまで流行語となり、猫も杓子《しゃくし》も芸術芸術といい出したものだから、ある男が、
「芸術とは何だね」
トルストイでもいいそうなことをいい出して、彼等を狼狽《ろうばい》させたこともありました。
夜になると田山白雲は、お銀様の寝た縮緬《ちりめん》の夜着蒲団《よぎふとん》の中へ身を埋めながら、そんなことを考えて笑止《しょうし》がり、問題の画面
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