この放浪画家も、事ひとたび、その天職とするところの事に当ると、かなり苦心惨憺する。今や、この第二の絵について、何事をかわかりたいとして、その一つをさえ、わからせることができないで苦心惨憺を続けている。
 わからないのは知識だけである。知識の鍵を握りさえすれば、芸術に国境はないのだから、いいものはいい、悪いものは悪いとして、当然自分の鑑賞裡にくだって来るに相違ないが、知識そのものがないから何とも判断のくだしようがない。
 芸術に国境は無いというありきたりの言葉を念頭に置きながら、田山白雲は東洋の芸術がわかって、西洋の芸術の知識の暗いことに、自分ながら不満と焦燥とを感じ、さて、芸術という流行語を繰返して、なんとなく擽《くすぐ》ったい思いがしました。
「芸術」という流行語の起りは今に始まったことではない。享保十四年の版本、樗山子《ちょざんし》というものの著述に「天狗芸術論」がある。これは剣法即心法を説けるもので、なかなか傾聴すべき議論がある。芸術の文字が流行語となりはじめたのは多分その辺で、その後、幕府が講武所を開いた趣意書のうちに、旗本の子弟、次男、三男、厄介に至るまで、力《つと》めて芸術
前へ 次へ
全352ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング