来たのを、記念の意味で太夫元《たゆうもと》にくれたものであります。
 白雲が泰然自若として坐り込んで、睥睨《へいげい》している眼の前で、お角は自身そのカーテンを巻き上げると、
「うーむ」
といって白雲が長く唸《うな》りました。
 唸りながら、白雲は両の拳を両股の上へ厳《いかめ》しく置いて、
「うーむ」
と首を傾けた。その絵は、白雲の眼光を以てしても、急には届きかねるものでありました。
「これは子安観音《こやすかんのん》の絵だ」
 画様を説明すれば、まずそういったようなものでしょう。さいぜんからお角が、再々キリシタン、キリシタンを口にしたればこそ、これがいわゆるキリシタンの油絵というものかと思われる。
 けれども白雲の見るところは、それが観音であろうとも、キリシタンであろうとも、信仰の上から見比べて、かれこれと考えているのではなく、この男はこの時、初めて本物の油絵というものを見ました。
 実は今までも、再々油絵というものを見ているのです。西洋の絵の面影《おもかげ》も霞《かすみ》を透して珠《たま》を眺めるような心持で堪能《たんのう》して見ないということはありません。第一期|天草《あまくさ》
前へ 次へ
全352ページ中61ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング