来たのを、記念の意味で太夫元《たゆうもと》にくれたものであります。
白雲が泰然自若として坐り込んで、睥睨《へいげい》している眼の前で、お角は自身そのカーテンを巻き上げると、
「うーむ」
といって白雲が長く唸《うな》りました。
唸りながら、白雲は両の拳を両股の上へ厳《いかめ》しく置いて、
「うーむ」
と首を傾けた。その絵は、白雲の眼光を以てしても、急には届きかねるものでありました。
「これは子安観音《こやすかんのん》の絵だ」
画様を説明すれば、まずそういったようなものでしょう。さいぜんからお角が、再々キリシタン、キリシタンを口にしたればこそ、これがいわゆるキリシタンの油絵というものかと思われる。
けれども白雲の見るところは、それが観音であろうとも、キリシタンであろうとも、信仰の上から見比べて、かれこれと考えているのではなく、この男はこの時、初めて本物の油絵というものを見ました。
実は今までも、再々油絵というものを見ているのです。西洋の絵の面影《おもかげ》も霞《かすみ》を透して珠《たま》を眺めるような心持で堪能《たんのう》して見ないということはありません。第一期|天草《あまくさ》
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