非常なハイカラな、新し好みの人に多かったのを、これは実にバンカラな人が、その流行ものの傘をさして、のこのこと出て来たから、それで一層お角の目を惹《ひ》いたのでしょう。お角ばかりではない、誰でもみんな、そちらを眺めました。
この大男は誰あろう、足利《あしかが》の絵師、田山白雲でありました。しかも、これは房州戻りそうそうの、江戸の土を踏んだ初めての見参《げんざん》なのですが、さすがの白雲も、芸術家並みに頭の古いといわれるのを嫌がって、それでハイカラの傘を仕込んで来たと見るのは僻目《ひがめ》で、これは洲崎《すのさき》の駒井の許を立つ時に貰って来たのでしょう。それもハイカラのつもりで貰って来たのではなく、日のさす時は日除けになり、風の吹く時は風除けになり、雨の降る時は無論、結構な雨具に相違ない。その上折畳みが自由に利《き》くから、実用無類の意味で、駒井の物置から探し当てたものとも思われます。
とにかく、こうして蝙蝠傘《こうもりがさ》をさして、ゆらりと江戸の浅草の駒形堂の前の土を踏んだ白雲の恰好《かっこう》は、かなりの見物《みもの》でありました。それは、頭の上だけは例の大ハイカラ蝙蝠傘で新し
前へ
次へ
全352ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング