》しの体《てい》で、興行は大当りに当ったが、お銀様というものに逃げられたのが癪《しゃく》で、金助をとっちめてみたところがはじまらない。
 ともかく、切支丹奇術大一座の興行を、一世一代として見れば、この辺で水商売の足を洗いたくもあったのでしょうが、どうも世間というものは、そう綺麗《きれい》さっぱりとくぎりをつけるわけにはゆかないと見え、お角に興行界を引退の意志があると見て、やれ馬喰町《ばくろちょう》に宿屋の売り物があるから引受けてみないかの、地面家作の恰好《かっこう》なのがあるから買わないかの、上方料理の変った店を出してみる気はないかの、甚だしいのは、両国の興行をそっくり西洋へ持ち出してみる気はないかのと、八方から話を持ち込んで来るので、お角もうるさくなりました。
 どのみち、娑婆《しゃば》ッ気《け》が多く生れついてるんだから仕方がない――尼さんにでもなってしまわない限り、水を向けられるように出来てるんだと、お角も諦《あきら》めはしたが、そうそうは身体《からだ》が続かないよといって、この機会にお梅を連れて、伊豆の熱海の温泉へ、湯治と洒落《しゃ》れ込むことに了簡をきめたのです。
 湯治に行
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