がの米友も、誰を呼びかけて、何をいおうとの心も失せ、参宮道の真中の榎《えのき》の大樹の下に立つと、何かいい知れず悲しくなって、その大樹に身を寄せて面《おもて》を蔽《おお》うているうちに、いつしか、しくしくと泣いている自分を発見しました。
「君ちゃんがいねえ……ムク、ムクの野郎もいねえ……ムクやい、ムクはいねえのかよう」
と米友は、声立てて呼んだけれども、手拭を後ろに流し、黄八丈の着物に、三味線を抱えたお君の姿も出て来ない。そのあとに、影身のように附添うたムクも現われては来ない。間の山の盛り場では、提灯篝《ちょうちんかがり》の火が空を焦《こが》して、鳴り物の響きが昔ながらに盛んに響いて来るのに、自分の見たいと思う人と、聞きたいと思う声だけは、一つも現われて来ない。そこで米友は、
「ムク……おいらは今、間の山に来ているんだぜ、誰も迎えに出て来ねえのかい?」
 米友は天を仰いで号泣しようとする、その大榎の樹の枝に、一団の青い火が、上ろうとして上らず、下ろうとして下らないのを認めました。
「あれが魂というものだな」
 米友は身を躍《おど》らして、その青い一団の光を捉えようとする途端に、大風が吹
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