屋の看板を背負って立つだけに、この駅では、指折りのあだっぽい女であったことは疑いがないらしい。
 水性《みずしょう》のお玉さんは、誰にも愛嬌を見せるように、米友にも最初から愛嬌を見せていました。というよりは、勇者としての米友を取持つ役を、ほとんどお玉さんひとりがとりしきってやっていたようなものですから、一緒に寝ようといえば寝もするし、夜もすがら語り明かそうといえば語り明かしもするし、どうでも米友の註文通りになったはずなのです。
 この道中で、ある時、道庵がこういって米友を慰めたことがあります、
「友様……人間には魂と肉体というものがあって、肉体は魂について廻るものだ、肉体は死んでも魂というものは残る。早い話が、家でいえば肉体は、この材木と壁のようなものだ、たとえばこの家は焼けてしまっても、崩れてしまっても、家を建てたいという心さえあれば、材木や壁はいつでも集まって来るぞ。で、前と同じ形の、同じ住み心地の家を、幾度でも建てることができるぞ……いいか、その心が魂なんだ。だから人間に魂が残れば、死んでもいつかまた元通りの人間が出来上って来る、だから何も悲しむがものはねえ……お前の尋ねる人も魂
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