や》の飯盛女《めしもりおんな》――昔はこれを「くぐつ」といい、今は飯盛、あるいは宿場女郎という。東海道筋でいってみると、五十三駅のうち、官許の遊女屋のあるのは駿河の弥勒町《みろくまち》だけで、あとは品川でも、熱田でも、要するに飯盛女――駅という駅に、大小美醜の差別こそあれ、この種類の女の無いというところはない。これを美化すれば大磯の虎ともなり、詩化すれば関の小万ともなる。東海道名所|図会《ずえ》の第五巻に記して曰《いわ》く、
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「駅路の遊君は斑女《はんじょ》、照手《てるて》の末流にして今も夕陽《ゆふひ》ななめなる頃、泊り作らんとて両肌《もろはだ》ぬいで大化粧。美艶香《びえんかう》には小町紅《こまちべに》、松金油《まつがねあぶら》の匂ひ濃《こま》やかにして髪はつくもがみのむさむさとたばね、顔は糸瓜《へちま》の皮のあらあらしく、旅客をとめては……」
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云々《うんぬん》と筆を弄《ろう》しているが、名所図会という名所図会には、この駅路の遊君を不美人に描いたのは一つもない。ここの玉屋のお玉さんが、死んだお君に似ていたか、いないかは疑問ですけれども、玉
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