「ただでは見せて上げないよ」
といって、高いところの窓を、ハタと締め切ってしまいました。
「そりゃ、あんまり胴慾《どうよく》な……」
「お玉さん、お湯の中で水入らずに、しっかりみがいてお上げよ」
 窓を締められた弥次は、暗いところでなお騒々しい。
 その時、米友は立ち上って、
「もういいよ、おいらは湯から上っちまわあ」
 弥次のうるさいのに堪えられなくなったのでしょう。ぷりぷりしながら立って風呂へ入り、首だけを出し、思わず女の姿を眺めていたが、急に、
「あ……お玉!」
と言って舌をまきました。
 米友が渾身《こんしん》から驚いたのは、この女の面影《おもかげ》がお玉に似ていたからです。名をさえそのままでお玉というのは……いうまでもなく間《あい》の山《やま》以来のお君の前名でありました。その米友の異様な叫び声を聞いた女は、こちらを向いて、嫣乎《にっこり》と笑い、
「あら、もう、わたしの名を覚えて下すったの、嬉しいわ」
「お前の名は、お玉さんていうんだね」
「ええ……玉屋のお玉ですから覚えいいでしょう、忘れないで須戴な」
「あ……」
 米友は吾を忘れて感動しました。その時、外で弥次馬が、
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