本来、こういう場合の万一に備えるために天から授けられた米友ではないか。それをさしおいて、道庵自身がまかり出て、米友の株を背負《せお》い込もうとしてもそうはゆかない。天は決して人に万能を授けるものではない。おのおのその職とするところの分外に出て業《わざ》をしようとすれば、必ず間違いがある。
道庵先生ともあろうものが、ここで裸松のため、ほとんど、なぶり殺しの目に逢い出したのも、もとはといえば、自業自得《じごうじとく》。自業自得とはいいながら、その業《ごう》は酒がさせるわざです。ですからこれは、酒業自得《しゅごうじとく》というのが正しいでしょう。
裸松は、道庵を突き飛ばしたり、引きずり廻したり、それをまた道庵は、すっかり負けない気になって、起き直っては、ひょろひょろしながら武者振りつくものですから、その恰好《かっこう》がおかしいといって裸松は、いい玩弄《おもちゃ》にして面白がっている。それでも玩弄にされているために、道庵は致命傷を免れているらしい。しかし、どちらにしてもこうして置けば、この際、仲裁に出て、わが道庵先生の危急を救おうとするほどの勇者が現われるはずはないから、道庵はみすみす弄
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