にあるまいと信じていたところ、その自信をうらぎって、ちっとも恐れず武者ぶりついて来た勇気のほどには、裸松ほどのものも、一時《いっとき》力負けがして、こいつはほんとうに柔術《やわら》でも取るのか知らと惑いました。
 必死となって裸松の前袋に食いついた道庵は、そこで、やみくもに身ぶりをして、ちょうど器械体操みたようなことをはじめたから、一旦は戸惑いした裸松が、ええ、うるせえ、一振り振って振り飛ばそうとしたが、先生は、しっかりと前袋にくいついて、離れようとはしません。
 その間に――悧巧《りこう》な例のお差控え連は事面倒と見て、道庵にこの場をなすりつけ、三人顔を見合わせると、一目散《いちもくさん》に逃げ出しました。それも街道を真直ぐに逃げたんでは危険と思ったのか、わざと人家の裏へそれて逃げ出したから、裸松が、いよいよおこってわめき出し、
「御用提灯を粗末にされちゃ、おれは承知しても、加賀様が承知しねえ、待ちやアがれ!」
 道庵を前にブラ下げたり、引きずったりしたなりで、逃げ行く侍たちのあとを追いかけました。そこで軽井沢の宿は家毎に戸をとざすの有様です。
 しかし、この道庵の食い下り方が、非常
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