拝みやがれ、あれは加賀様の御用の提灯だわやい」
かさにかかった悪態《あくたい》の馬子は前へ廻って、件《くだん》の侍の胸倉を取ってしまいました。そこで軽井沢の全宿が顫《ふる》え上りました。
道庵先生は、これは自分の頭へ提灯が降って来た以上の出来事だと思いました。自分の頭も多少痛かったが、いわばそれは飛ばっちり[#「飛ばっちり」に傍点]で、本元は今そこで火の手が揚っているのだ……こういう場合に、よせばいいのに、道庵がのこのこと現場へ出かけたのは、まことによけいなことです。
道庵は問題の提灯《ちょうちん》をさげて、尻はしょりで、盥《たらい》から跣足《はだし》のままで抜からぬ顔で、火元へ出かけようとするから、玉屋のあだっぽい飯盛《めしもり》が、飛んで出て、
「お客様、およしなさいまし、ほってお置きなさいまし、あれは裸の松さんといって、加賀様の御用を肩に着て、力が五人力あるといって、街道きっての悪《わる》で通っていますから――」
そっと、ささやいて道庵を引留めましたけれど――およそ道庵の気性を知っている限りの人においては、左様な諫言《かんげん》を耳に入れる人だか、入れない人だかは、先刻御
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