うか」
女からこう言われて、ハッと気がついて、
「そのこと、そのこと、急いで人を出しておくんなさい。大将、まごまごしているだろう、間違って坂本の方へでも落っこってしまわねえけりゃいいが……」
道庵がはじめて、米友のことを思い出しました。
「ね、いいかい、人相はこれこれだよ、間違えちゃいけねえ。なあに、間違えようたって、間違えられる柄《がら》じゃねえんだが、人間が少し活溌に出来てるから、気をつけて口を利《き》いてくんなよ、腹を立たせると手におえねえ」
そこで、米友の人品を一通り説明して聞かせましたから、宿の者は心得て、米友を迎えに出かけました。
道庵が、そこで足を洗いにかかると、この宿の楼上で三味線の音《ね》がします。そこで道庵が、またも足を洗う手を休めてしまって、
「古風な三味線の音がするが、ありゃ何だい」
「説教浄瑠璃《せっきょうじょうるり》がはじまりました」
「説教浄瑠璃と来たね、今時はあんまり江戸では聞かれねえが……なるほど、苅萱《かるかや》か、信濃の国、親子地蔵の因縁だから、それも本場ものにはちげえねえ……」
見るもの、聞くものに、一通りへらず口をたたかなければ納まら
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