軒の本宿に、二十四軒の旅籠屋《はたごや》。紅白粉《べにおしろい》の飯盛女《めしもりおんな》に、みとれるようなあだっぽい[#「あだっぽい」に傍点]のがいる。なるほどこれでは、道中筋のお侍たちがブン流してお差控えを食うのも無理はないと、いい年をした道庵が、よけいなところへ同情をしながら歩きました。
道庵先生は玉屋の店の縁先へ腰をかけて足を取り、洗足《すすぎ》のお湯の中へ足を浸していると、旅籠屋《はたごや》の軒場軒場の行燈《あんどん》に火が入りました。それをながめると道庵は、足を洗うことを打忘れ、
「ははあ、初雁《はつかり》もとまるや恋の軽井沢、とはこれだ、この情味には蜀山《しょくさん》も参ったげな」
事実、江戸を出て以来の情景に、道庵がすっかり感嘆しました。
ところが、そこへ、おあつらえ向きに遠く追分節が聞え出したものだから、道庵がまた嬉しくなりました。
「すべて歌というやつは、本場で聞かなくちゃいけねえ」
両側に灯《ひ》をともしはじめた古駅の情調と、行き交う人の絵のようなのと、綿々たる追分節が詩興をそそるのに、道庵先生が夢心地になりました。
「あの、お連れさんをお迎えに出しましょ
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