」
「そうですよ」
「お話し申せば長うございますが……」
鹿の子は生れて半時《はんとき》も経たぬ間に、もうひょこひょこと歩き出すそうですが、弁信は息を吹き返すと間もなく、平常《ふだん》の調子で、すらすらと話し出しました、
「ちょうど、この松原で……多分ここは松原の中だと思いますが、私の前へ一人の人が現われて申しました、お前はどこへ行く……私は旅をして歩きますと申しますと、一人で旅をして歩くには路用というものを持合わせているだろう、それをここへ出せ、とのことでございます……いいえ、左様なものは持合わせてはおりませぬ、と答えましたが、その人が聞き入れません。嘘をつけ……持っているだけ出さないと為めにならぬぞ、と、斯様《かよう》に申しますものですから、私が事を分けて、いいえ、ございませぬ、門付《かどづけ》でいただいた鳥目《ちょうもく》が僅かございましたのを、それで、甲府の町の外《はず》れで饂飩《うどん》を一杯いただいて、今は全く持合せがございませぬ……こう申しますと、その人がどこまでも、それは嘘だ、眼も見えないくせに、一人で旅をして歩くからには、必ずどこぞに路用の金を隠し持っているに相違ないと、斯様に私を責めまする故に、私はそれならば、私が、今ここで裸になってごらんに入れましょう、古人は曾無一善《ぞうむいちぜん》の裸の身と申しました、裸になった私の身体《からだ》をごらんになった上、たとえそこに一銭の金でも蓄えてありましたならば、私は生命《いのち》を取られても苦しいとは申しませぬ……こう言いまして、私は琵琶を下へ置いて、上なる衣《ころも》から悉皆《しっかい》脱ぎ去って、裸になって、その方に見せました……そうしますと、うむなるほど、無いものは無いに違いない、貴様はなかなか気の利《き》いた坊主だ、本来はこちらから身ぐるみ裸にしてやるべきものを、その手数をかけずに自分から進んで裸になったのは可愛ゆい奴だ、銭がなければ、二束三文にもなるまいが、この着物だけは持って行く……と申しまして、私の上から下までの着物――と申しましても襦袢《じゅばん》ともに僅かに三枚なのでございますが、その三枚を持って行こうとしますから、私が、もしもしとその方を呼び留め申しました、呼びとめて申しますのには、あなたがそれをお持去りになるのは仕方がございませんが、仕方があってもなくても、この私はあなたのなさることは、お留め申すだけの力は一切ございませんが、どうかお情けにはそのうちの上着の一枚だけをお返し下さいますまいか、せめてそれだけでもございませんと、これから一足も進むことができないのでございます……と、懇《ねんご》ろに頼みましたところが、その方はそれを一向お聞き入れ下さらず、馬鹿め……着物がなくっても足があるだろう、足があって一足も歩けないということがあるかと申されました、よろしうございます、それではお持ち下さいませ……私が悪うございました、世間には一枚の着物さえ持たない人もあるのに、これまで三枚の着物を重ねていた私は奢《おご》っておりました、その罪で、あなたのために衣をはがれるのは、罪の当然の酬《むく》いでございます、私から着物をお取りになろうとするあなたこそ、私以上に困っておいでになればこそでございます、求められずとも、私から脱いで差上げなければならなかったのを、たとえ一枚でも欲しいと申した私の心が恥かしうございます……とこう申しますと、その人が、いきなり私を足蹴《あしげ》に致しました。
その方が、いきなり私を足蹴に致しまして、よく、ペラペラ喋《しゃべ》るこましゃくれ[#「こましゃくれ」に傍点]だ、黙って往生しろ――とそのまま行っておしまいになればよかったのですが、その方が、ふと私があちらへおいた琵琶に目をつけたものと見えまして、こりゃあ何だ、月琴《げっきん》の出来損いのようなへんてこなものを持っている――これもついでに貰って行く、と琵琶をお取上げになったようでしたが、夜目にも、私の琵琶が古びて、粗末なのを見て取ったのでしょう、持って帰ったって、こんな物、売ったところでいくらにもなるめえ、買い手があるものか……と呟《つぶや》きましたのを、私が聞いて、左様でございます、その品は、それを操るものには無くてはならぬ品でございますが、余の人が持ちましたとて、玩具《おもちゃ》にもなるものではございませぬ、もしできますならば、それはそのままお残し下さいませ、おっしゃる通りに着物はなくても、足があれば歩けないという限りはございませぬが、それがありませぬと、明日から世渡りに差支えまする、とにもかくにも、その一面の琵琶を私が抱いて参りますうちは、皆さんが……よし私の芸が不出来でありましょうとも、それに向って、いくらかの御報捨をして下さいますが、それがないと、私は全く杖柱を失ってし
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