またしても大乱闘が始まってしまいました。
組子は突棒《つくぼう》、刺叉《さすまた》、槍、長刀《なぎなた》を取って、弁慶に打ってかかるから、弁慶も金剛杖では間に合わず、ついに太刀《たち》の鞘《さや》を外《はず》して、縦横無尽にそれを斬り散らす騒ぎになったから、見物は喜びますけれど、道庵は身の毛をよだてました。
岩見重太郎で、あのくらい斬っているのだから、弁慶となって、こんなにまで斬らなくともよかろうに……関守の歩卒を斬って斬りまくり、あわや富樫に迫ろうとして、踏段へ足をかけて大見得《おおみえ》をきったのですから、道庵が驚き怖れたのも無理はありません。
あまりのことに道庵が、初めて救いを求めるような声で、
「弁慶様、大きいぞ、刀だけじゃ物たりねえ、七つ道具を担《かつ》ぎ出してウンと暴《あば》れろ!」
と叫びました。
その声の終るか終らないのに、ズカズカと舞台をめがけて飛び出した者があります。
これぞ別人ならぬ仏頂寺弥助。
二十七
仏頂寺弥助は、ズカズカと桟敷から舞台の上へ出かけて行って、呀《あっ》という間もなく弁慶の太刀《たち》を打ち落し、弁慶を引捕えて膝の下へ敷いてしまったから、驚いたのは舞台の上ばかりでなく、満場の客が呀《あっ》といって総立ちの形です。
舞台の上では敵味方にわかれていた富樫の部下を初め、拍子木叩きや、楽屋番の連中まで、一時は呆気《あっけ》に取られたが、矛《ほこ》を取り直して、この意外な狼藉者《ろうぜきもの》を取押えて、弁慶を救い出そうという途端、仏頂寺弥助が眼を怒らして、
「言って聞かせるから、静まれ!」
と大喝《だいかつ》しました。
その勢いの猛烈なところへ、同行の壮士二人と、丸山勇仙とが、続いて舞台の上へ飛び上り、
「静かにしろ、仏頂寺に言うだけのことを言わせろ」
と怒鳴りました。
その勢い、いかにも殺気満々たるものですから、誰もうかとは手出しができないでいるうちに、看客《かんきゃく》の中の気の弱いのは、先を争うて逃げようとする。しかし大多数は留まって、この意外な劇中劇の終局を見届けようと、犇《ひし》めいている。
弁慶を取って押えた仏頂寺は、看客の方に向い大音声《だいおんじょう》で、
「諸君騒ぐな、拙者は気違いでもない、頼まれて芝居を妨害に来たものでもない、況《いわ》んや諸君の楽しみに邪魔をするつもりで来たのでもないが、小癪《こしゃく》に障《さわ》ってたまらぬゆえに、この次第に及んだのだ。おのおの方、ここに取って押えた弁慶は贋物《にせもの》であるぞ」
といいました。
「贋物……それはきまってらあな」
と大勢の中から叫び返した兄《あに》いがあります。芝居の弁慶で贋物でないのは無い。本物の弁慶なら、そう容易《たやす》くは捉まるまい。芝居の弁慶を捉まえて、これは贋物だと宣言することほど、それは非常識な侍である。そこでいったん静まりかけた客や舞台が、また沸き出して、本物の弁慶を見たければ五条の橋へ行くがいいのなんのと、犇《ひし》めき合っているのを仏頂寺が、
「弁慶をやっているこの役者が贋物なのだ、市川海老蔵とあるのは偽りだ、海老蔵どころではない、蟹蔵《かにぞう》にも及ばない木《こ》ッ葉《ぱ》役者が、こうして吾々をごまかして歩くのだ。おのおの方、その番付の文字をよく御覧なさるがよい、その海老《えび》の老《び》という字は土《ど》という字だ、エビ蔵ではない。エド蔵だ。本物の市川海老蔵という役者は、市川総本家の大将で、芝居道の方では王様だ。こいつは擬物《まがいもの》のエド蔵。諸君、だまされてはいけない」
持って来た番付を押開いて、高く掲げて看客《かんきゃく》に警告したのは大いに利《き》き目があって、すべての看客がおのおの携帯の番付を照らし合わせて見ると、なるほど、老《び》と土《ど》の違いがある。老と土とは、つまりエビ蔵をエド蔵にする。なるほどと合点《がてん》したところへ畳みかけて仏頂寺が、
「おのおの方……芝居を見るにも、裏と表を透《すか》して見なければいかん、ただ、逆《のぼ》せ上ってわいわい見ていてはいけない。この弁慶が……この弁慶なる者が、一人で舞台の上をのさばり廻っているところのみを見て、弁慶というもののその時の心持を見ないような奴は、芝居を見ないがよろしい。さいぜんも見ていれば、富樫に咎《とが》められて、金剛杖で主人義経を打ち据える時の、あの打据え様《ざま》はどうだ。苟《いやし》くも弁慶ほどの者が、主《あるじ》たるものの身体《からだ》に鞭を当てねばならぬ心中の苦痛はいかばかり……外目《よそめ》には強く打つと見せて、腹の中は血の涙で煮え返る、その心の中は千万無量だ。それをこの弁慶は、ここにいる弁慶なるものは、ただもういい心持でブン擲《なぐ》って、俺はこれほど強いぞ、とい
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