し出している。海津《かいづ》の浦に着きにけり、でいっぱいに並ぶ。「いかに弁慶」から台詞《せりふ》の受渡し、「いざ通らんと旅衣、関のこなたへ立ちかかる」――弁慶を前にして本舞台へかかる。道庵も、こいつ、なかなかやるなと思いました。
仏頂寺も、これは多少見直したという形になって舞台を見る様子。丸山勇仙は、それ見たかといったような気分もある。
そこで富樫との問答になって、
「言語道断《ごんごどうだん》、かかる不運なるところへ来りて候《そうろう》ものかな、この上は力及ばず、いでいで最後の勤めをなさん」
あたりから調子が少し変になりました。唄が少々疲れてきたのと、四天王の祈りがばかに景気よくなって、無暗に珠数《じゅず》を押揉《おしも》む形が、珠数を揉むよりも、芋を揉むような形に見え出したのだから、道庵が訝《おか》しいと見ました。
けれども、今日はどうしたものか、道庵がヒドクおとなしく、万事胸の中に心得て、表へは少しも現わさず、半畳《はんじょう》を入れたり、弥次ったりするようなことは一切慎んで、それから弁慶の馬力がいよいよ強くなるのに、長唄がヘトヘトになって、それを追っかけ廻しているのもおかしいといって笑わず、かえって同情を寄せておりました。それでもようやく、
「ナニ、勧進帳を読めと仰せ候か」
まで漕ぎつけたから、役者よりも、長唄よりも、道庵がまずやれやれ安心と息をつき、この分なら尻尾《しっぽ》を出さずに済むかも知れない、ともかく、無事に勤めさせてやりたいものだとなお心配をつづけたが、案ずるより産むが易《やす》く、
「それつらつら、おもんみれば、大恩教主の秋の月は涅槃《ねはん》の雲に隠れ……」
勧進帳の読上げも凜々《りんりん》たる調子を張って、満場をシーンとさせました。
「一紙半銭の奉財のともがらは、この世にては無比の楽《らく》にほこり、当来にては数千蓮華《すせんれんげ》の上に坐せん、帰命稽首《きみょうけいしゅ》、敬《うやま》って白《まお》す」
淀《よど》みなく読み上げると、唄もすっかり元気を回復して、
「天も響けと読み上げたり……」
満場は深い感動の色を現わしたようです。
しかし、仏頂寺弥助はようやくうけがいません。すべてが感心の色を現わした時、仏頂寺は首を左右に振って、
「いかん」
と言いました。
観客が険しい眼をして見るのを、丸山勇仙が気兼ねをして、押えようとするが、仏頂寺はうけがわず、
「いかん。何とならば、この時の弁慶は、あくまで本物の山伏のつもりで勧進帳を読まなけりゃならん、それだのに、この弁慶は、弁慶ムキ出しで勧進帳を読んでいる、これじゃ富樫《とがし》というものが、全然ボンクラになってしまう……義経もこれじゃ助からない」
「まあ、芝居だから……」
「芝居とはいえ海老蔵ともあるべき者が、弁慶をやるに全くその心がけを忘れている、自分一人だけを見せる芝居をやるというのは、あるべからざることだ、弁慶だけが浮いて、ほかの人物はちっとも浮いて来ないじゃないか……その弁慶も、本当の弁慶じゃない、作り物の弁慶だ」
仏頂寺がこういって力《りき》み出した地声が、少し高過ぎたせいでしょう、
「叱《し》ッ」
という声が聞えると、
「なにッ」
と仏頂寺がムキになりました。それを丸山が袖をひかえて、
「まあ、芝居狂言だから……」
仏頂寺弥助も、やむなく沈黙しました。
その時分、舞台では海土蔵の弁慶がますます発揮し、富樫の施物《せもつ》を受取って、一同この関を通り抜けようとする。
「いかにそれなる強力《ごうりき》、とまれとこそ」
義経に似たという強力が呼びとめられたのを、弁慶が怒って、金剛杖を取って散々《さんざん》に打ちのめす――それまでは、どうやら無事。かくて関所を出ると、山伏を先へやって弁慶一人が悠々《ゆうゆう》と歩み出す。ここからが変だと思いました。
そこで、富樫が引込むと、「ついに泣かぬ弁慶も一期《いちご》の涙ぞ殊勝《しゅしょう》なる」から「判官《ほうがん》御手《おんて》を取り給い」の順序になるべきはずのところを、判官を初め、四天王残らずの山伏と、強力が、ずんずん舞台を引込んでしまい、あとは弁慶一人舞台。長唄もそれでおしまいになるらしいから、はてな、「ついに泣かぬ弁慶……」を食って、延年《えんねん》の舞へ飛ぶのか知らん……と道庵が戸惑いをしました。
ところが、たったいま引込んだ関守の組子が、得物《えもの》を携えて関屋の前後からバラバラと現われたかと見ると、弁慶の前後をとりかこんでしまったから、道庵が、またもあっと魂消《たまげ》ました。
道庵の魂消たのに頓着なしに、そこで関守の組子が弁慶の行手を遮《さえぎ》ると、いったん引込んだ富樫がまた出て来て、
「弁慶、待て!」
道庵が、いよいよ驚いているうちに、
「何がなんと」
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