んにしてもれえてえものだな――と思って辛抱している。ところが、誰あって、米友が道しるべの下で、こんな犠牲的な辛抱をしていると気のつく者はなく、ただもう器量いっぱいに踊り騒いでいる。
 そのうち、むっくりと宇治山田の米友が跳ね起きたのは、その癇癪《かんしゃく》が破裂したのではありません、当然聞くべき人の声をその中で聞いたから、いきなり飛び上って道しるべの上へ突立って見ると、この時、道庵先生が屋台の上へかじりついて、
「さあ退《ど》いた、若い衆、いよいよこの親爺《おやじ》に一つ踊らしてくんな、この親爺の踊りっぷりを一つ見てくんな」
 若い者のすることが見ていられなくなったと見えて、道庵先生はダンジリに飛びあがって、自ら馬鹿面踊《ばかめんおど》りの模範を示そうというところでありましたから、米友が、じっとしてはいられません。
 道しるべの上から飛び立って、人の頭の上を走り通り、今しもダンジリに縋《すが》りついた道庵の袖を引っぱり、
「先生、いいかげんなことにしな」
と言って米友が、その手首をグングン引出した時に道庵が、
「友様か……済まねえ」
と叫びました。
 済むも済まないもありはしない。一刻も捨てておいた日には危なくてたまらないから、米友は有無《うむ》をいわせず道庵を引き立てて、また人の頭の上を飛んで走り戻りました。人の頭の上を、無闇に走り通ることの無作法ぐらいは米友も知ってはいるが、この際は、それを遠慮していられないほど急場の場合でありますからぜひがない。
 遮二無二《しゃにむに》、自分は人の頭の上を飛び、道庵の身体をも人の頭なりに引きずって、米友は露地の暗い人通りの少ないところへ引きずり込んでしまいました。
 それは米友流の極めて速かな早業《はやわざ》を以て、一瞬の間に行われてしまったものですから、頭の上を通られた連中までが、
「あっ!」
と言ったきり、手出しのできないほどの早業でありました。不思議な音頭取りを不意にさらわれても、それを追いかける手段を忘れしめたほどの早業でありました。
 道庵においても、遮二無二その腕を引張られても、人の頭の上を引きずり廻されても、痛いとも、痒《かゆ》いとも、言う暇のないほどの早業でありました。
 その早業が完全に行われて、人の頭の上から――露地の人通りの少ない所から、ついに行方《ゆくえ》も知らず引張り込まれた後に至って、群衆が騒《ざわ》めき立ちました。
「ひとさらい……」
 だが、もう遅い。
 ついにその近きあたりのどこを探しても、それらしい人の影を見出すことができませんものでしたから、一時、お祭りは中止の姿で、その奇怪のひとさらいの噂《うわさ》で持切りであります。
 たしかに小さいながら人間の形をしたものがこの道標《みちしるべ》の下から飛び出して、俺の頭の上を走ったには走ったが、その姿を見ることはできなかった、しかしその足は温かい足で、長い爪があったという者がある――いや、なんだか、俺の頭の上を通ったのは泥草鞋《どろわらじ》のようだったという者もある。それが、いきなり老人に飛びつくと、老人が「済まねえ」と謝罪《あやま》ったという者もあれば、謝罪ったのは飛び出して来た小者《こもの》だという者もある。
 しかし、幸いなことは、どちらがさらったにしても、さらわれたにしても、それは少しも土地ッ子の怪我《けが》ではないということで、誰に聞いてみても、あの頼まれもしない世話焼の親爺の何者であるかを知った者はなく、またこの道標あたりから飛び出したものの何者だか見極めた者もなく――どちらにしても氏子には、誰ひとり間違いが無かったということを喜び、結局、今のは天狗様だろうということに衆議が一決しました。
 つまり、辛犬《からいぬ》の山に棲《す》む天狗が、今夜の祭りの興に乗じて里へ出て見たが、面白さに堪らなくなって、つい人間と共に踊り、人間と共に楽しむ気になってしまったのだ、天狗が遊びに出たのだ、それも人を迷わしに来たのではない、人間と共に楽しみに来たのだから、それは怖いことではなく、賀すべきことである、いよいよこのお祭礼《まつり》の景気と瑞祥《ずいしょう》を示す所以《ゆえん》であると解釈がついてみると、右の老人のただ者でないという証拠が、あちらからもこちらからも提出されて、天狗から直々《じきじき》の指南を受けた人たちの持て方が大したものであります。
 天狗も来《きた》り遊ぶということで、この夜の景気がまた盛り返してきたのは、時にとっての仕合せでした。

         二十四

 しかし、天狗の評判があまり高くなったものだから、道庵主従も浅間の湯に泊ることには気がさして、松本の城下を指して宿を替えることにしました。
 城下は相変らずの景気でありますが、そのうちにも道庵をして絶えず大笑いに笑い続けさせたのは
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