ちぇッ、そっちの姉さん、お前、花笠をそう背負っちゃあいけねえよ、成田山のお札じゃあるめえし、ここんところをこう七ツ下りに落してみねえな、見た目が粋《いき》だあな。おいおい、そっちの金棒さん、もう少しずしんと、和《やわ》らか味のある音を出してくんな……さあ、提灯《ちょうちん》を、も少し上げたり、上げたり」
といって、また一目散《いちもくさん》に屋台のところまでかけ戻って、
「しっかりやってくんな……冗談《じょうだん》じゃねえよ、大胴《おおどう》がいけねえ、大胴、もう少し腹を据えてやりねえ。笛、笛、もう少し高く……ひょっとこ、ひょっとこ、思いきって手強く……」
 御当人も片肌をぬいでしまって、有合わせた提灯を高く高く振り廻して、屋台の上の踊り方にまで指図する。
 変な親爺《おやじ》が出て来やがった、町内ではあんまり見かけない風俗の親爺だが、かなり気むずかしい親爺らしい。気むずかしいだけに祭礼の故実も心得ているらしい。あんなのには逆らわずに世話を焼かしておく方がいいとでも思ったのでしょう。いくぶん尊敬の意味でいうことを聞いているらしいから、この親爺、いよいよつけ上り、
「さあ、若い衆、拙者が音頭《おんど》を取るから、それについて景気のいいところを一つ……オーイ、ヤレーヨ、エーンヨンヤレテコセー、コレハセー、イヤホーウイヤネー」
「ヤーイ」
 若い衆はわけもなくこの音頭に合わせてひっぱると、親爺、御機嫌斜めならず、
「ホラ、もう一つ、エーヤラエ、ヨイサヨイヤナ、アレハエンエン、アレハエンエン」
「ヨーイ、ヨーイヨーイ」
 この親爺《おやじ》一人でお祭りを背負って立つような意気組み。これぞ、以前の小者《こもの》が尋ね惑うているところの先生であります。
 またしても、あまりの賑《にぎ》やかさに、宇津木兵馬は再び二階の障子をあけて見おろしますと、この通りの景気です。
 その中を、右に左に泳ぎ渡って指図をして歩く変な親爺がある――兵馬は本来、道庵先生とは熟知の間柄で、ずいぶん今まで先生の世話にもなったことがあるのだから、そう見違えるはずはないのだが、いかに道庵先生だからとて、信州の松本までお祭の世話焼に来ていようとは思わず、第一、その頭が違っている。クワイ頭の専売物でなく、惣髪《そうはつ》にして二つに撫でつけた塚原卜伝《つかはらぼくでん》の出来損ないのような親爺が、まさか長者町の道庵だとは思われませんから、やはり、変な親爺が、世話を焼いているなぐらいの程度で、この景気の見送りをして、またも障子を閉《とざ》してしまいました。
 一方、宇治山田の米友は、浅間の町の迷児の道しるべの辻に立って、しきりに地団駄《じだんだ》を踏んだり、嘆息をしたりしている。
 ああしたような事情で善光寺を立ち出で、善光寺から稲荷山《いなりやま》へ二里、稲荷山から麻績《おみ》へ三里、麻績から青柳へ一里十町、青柳から会田《あいだ》へ三里、会田から刈谷原《かりやはら》へ一里十町、刈谷原から岡田へ一里二十八町、岡田から松本まで一里十八町を通って、松本の城下へ入り込んで見ると、前いうような景気でしたから、道庵がまたはしゃぎ出し、浅間の湯というのへ泊ることだけは打合せておいたが、とうとう途中で飛ばしてしまいました。
 止むことを得ず、米友は約束の浅間の地に着いて、町並に怒鳴り歩いてみたが手答えがなく、そこで、今は株を守って兎を待つよりほかの手段はなくなりました。
 町の辻の迷児の道しるべのあるところに、悄然《しょうぜん》と立った宇治山田の米友。
 人の気も知らないで、賑やかしい花車屋台《だしやたい》の行列は早くも米友の前まで押寄せて来ました。そこで迷児の道しるべの前に立っていた米友が、後ろへ隠れて人波を避ける。幸いにして米友は柄が小さいから、道しるべの蔭へ隠れた日には、少しも人波の邪魔になるということがありません。人波の方でもまた、米友と、道しるべとを捲き残して、大水のように過ぎ去ってしまえば何のことはないのだが、ここぞ、この町並ではほぼ目貫《めぬき》のところでしたから、そこで行列も御輿《みこし》を据えて、器量いっぱいのところを見せなければなりません。
 米友にとってはこれが迷惑です。早くこの人波が流れ去ってしまうことを希望していたのに、流れ来った水がここで湖となってしまい、自分と、道しるべとは島にされたならまだいいが、湖底に埋没されたような形になって、群衆は米友の頭の上でしきりに踊り騒いでいる。
 ぜひなく米友は、道しるべの蔭にいよいよ蹲《うずくま》って、ともかく、この人波の停滞が崩れ去るのを待って、おもむろに身の振り方をつけようと覚悟しました。
 こうして人波に埋没されている米友にとっては、何の面白くもないお祭り騒ぎ――だが人の面白がるものにケチをつけるにも及ばねえが、いいかげ
前へ 次へ
全88ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング