の大望《たいもう》がありました。
その翌日、七兵衛は神尾主膳に向って、自分は盗人《ぬすっと》だということを、大胆に打明けてしまいました。
主膳も、それを聞いて存外驚かず、大方そんなことだろうという面付《かおつき》。
盗人ではあるが、自分は質《たち》の悪い盗人ではないと言いだすと、主膳が、世間に質の良い盗人というものがあるのか、と変な面をしました。
ありますとも……盗人の社会へ入って見れば、質《たち》のいいのも悪いのも、気取ったのも気取らないのも、渋味《じみ》なのも華美《はで》なのも、大きいのも小さいのも、千差万別の種類があるうち、自分は質の良い方の盗人だというと、神尾が笑って、自分で質が良いというのだから、間違いはなかろうと冷かす。
そこで、七兵衛がいうには、自分の盗人ぶりの質《たち》の良いというのは、盗んで人を泣かすような金は盗まず、盗んだ金を自分の道楽三昧《どうらくざんまい》には使わず……ことに自分は盗みをするそのことに趣味を感じているのだから、盗んだあとの金銀財宝そのものには、あまり執着を感じていない。
たとえば、ここにこうして古金銀から、今時の贋金《にせがね》まで一通り盗み並べてみたが、これもホンの見本調べをやってみただけのもので、もうそれだけの知識を備えたから、綺麗《きれい》さっぱりとあなたに差上げてしまっても惜しいとは思わない――つまり、盗むことの興味が自分の生命で、盗み出した財物は、楽しみをした滓《かす》だから何の惜気もない――といって神尾主膳を煙《けむ》に捲きました。
しかし、また七兵衛は真顔になって、自分とても、ほかに何か相当の天分と、仕事をもって生れて来たのだろう、幼少の教育がよくて、己《おの》れの天分を順当に発達さえさせてくれたら、あながち盗人《ぬすっと》にならずとも、他に出世の道があったに相違ないという述懐を漏らします。
「そりゃそうだ、盗人をするだけの才能と、苦心を、他に利用すれば立派なものになる」
と神尾もまじめに同情しました。
しかし、今となっては仕方がない。自分はこうして盗むことに唯一の趣味を感じていると、盗み難いものほど、盗んでみたいという気になる。
そこで、一つの大望がある。なんとこの大望を聞いては下さるまいか。
何だい、その大望というのは。石川五右衛門がしたように、太閤の寝首でもかこうというのかい。
いいえ、そういうわけではございません、実は――
七兵衛の大望というのはこうです。
徳川初期の歴史を知っているものは、家康が金銀に豊富であったことと、その金銀を掘り出すのに苦心したことを知っている。
そのうち、豊臣家から分捕った「竹流し分銅《ふんどう》」という黄金がある。
この「竹流し分銅」は一枚の長さ一尺一寸、幅九寸八分、目方四十一貫、その価、昔の小判にして一万五千両に当るということを聞いている。それを徳川が、豊臣から分捕った時には、たしか五十八枚。大坂の乱後、家康が、井伊|直孝《なおたか》と藤堂高虎の功を賞して手ずからその一枚ずつを与えたほかには、「行軍守城用、莫作《なすなかれ》尋常費」の銘を打たせて大坂城内へ秘蔵して置いた。
その後、改鋳のことがあって、四代以来、この分銅へ手をつけ出し、今は残り少なになってはいるが、まだ有るには有ると聞いている。それはどこにあるのか、やはり四代以前の時のように大坂城内に秘蔵されているのか、或いは江戸城の内にもちこされて来ているのか――盗人冥利《ぬすっとみょうり》には、その分銅を手に取って、一目拝むだけ拝んでおきたいものだが、自分にはその所在の当てがつかない――なんと神尾の殿様、誓って、あなたに御迷惑はかけませんが、あなたのお手で、その黄金の所在の点だけがおわかりになりますまいか――それがわかりさえ致せば、自分が一人で行って拝見をして参ります、と七兵衛がいう。
十四
その日の夕方、七兵衛の姿は、芝の三田四国町の薩摩屋敷の附近に現われました。
薩摩屋敷の中では、一群の豪傑連が、その時分、額《ひたい》を鳩《あつ》めて、江戸城へ火をつけることの相談です。江戸城の西丸のどこへ、どういう手段で火をつけるかということ。その先決問題は、どうしたらいちばん有効に江戸城へ忍び込むことができるか。
かほどの問題も、ここでは声をひそめて語るの必要がなく、子供が野火をつけに行くほどの、いたずら[#「いたずら」に傍点]心で取扱われる。
彼等は関八州を蜂の巣のようにつき乱すと共に、江戸城の西丸へ火の手を上げる、これが天下をひっくり返す口火だと考えているものが多い。
それに比ぶれば、七兵衛の野心などは罪のないもので、「行軍守城用、莫作尋常費」とある黄金の分銅一枚を見さえすれば満足するのですが、しかし、その苦心の程度に至っては
前へ
次へ
全88ページ中43ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング