尻目にかけて、腰なる刀を抜いて青眼に構えたのは、意外でもあり、物騒千万でもある。
 どうもこれは穏かでない。
 なにもわざわざ、またそう軽々しく刀の鞘《さや》を外《はず》さなくてもいいではないか。
 仕方話をするのに、真剣を抜いて見せる必要もないではないか。
 兵馬は、仏頂寺の刀を抜いたのを大人《おとな》げないと思い、丸山勇仙ですらが、意外に打たれたようです。仏頂寺はそれに頓着なしに、
「こうだ、ここへさがってこの通りに構えたものと思わっしゃい。いいかい、目は見えないのだよ」
といって仏頂寺は、自分の眼をつぶりました。彼は、先日の竜之助の取った通りの型をして見せるのです。
 そこで兵馬は、一足さがって、その型を篤《とく》と見定めました。
 仏頂寺は、冷然として、どこまでも本人の型通りに、青眼、こころもち刀を右へ斜につけた姿勢で、動こうとはしない。
「いよう! そっくり[#「そっくり」に傍点]!」
と丸山勇仙が頓狂な声を揚げました。仏頂寺の型が、竜之助の音無《おとなし》うつしにそっくり[#「そっくり」に傍点]出来たものだから、音羽屋《おとわや》! とでも言いたくなったのでしょうが、音羽屋とも言えないから、それで単にそっくり[#「そっくり」に傍点]といってみたものでしょう。しかし、仏頂寺は笑わず、兵馬は痛切に、その型を打眺めていると、仏頂寺が、
「宇津木、どうだ、わかるか、わかったら打込んで見給え」
と、やはり目をつぶったままで言いました。
「うむ」
 兵馬は、仏頂寺の型を、身を入れて眺めているばかりです。
「わかるまいな」
 仏頂寺は、いつまでも冷然と構えている。丸山勇仙が、妙な面《かお》で、それを横から眺めながら兵馬に向い、
「宇津木君、かまわないから仏頂寺を斬ってしまい給え、ああしているところを」
 傍からけしかけてみる。
 兵馬は無言で、仏頂寺の型を睨《にら》めている。仏頂寺は澄まし返って、その姿勢をいつまでも崩すことではない。
 仏頂寺の態度は冷やかなものだが、それを見つめている兵馬の額に、汗のにじんでくるのを認める。その眼が輝いてくるのを認める。息づかいの荒くなるのを認める。
 丸山勇仙が、そこでようやく一種の恐怖に襲われてきました。
 この男は、学問の心得は相当にあるが、剣術は出来ない――これは前にいった通り。そこで最初は仏頂寺の型を、芝居もどきに冷かしてみたが、戯中おのずから真あり、とでもいうのか、ただしは、冗談《じょうだん》が真剣になったのか、仏頂寺の構えたしら[#「しら」に傍点]の切り方の刻々に真に迫り行くのが怖ろしく、それと相対《あいたい》した兵馬の態度が、いよいよ真剣になりそうなのに恐怖を感じだしました。
 よくあることで、酒の上の冗談から、果し合いになったり、申合いの勝負が、遺恨角力《いこんずもう》に変ずることもないではない。そこで、暢気《のんき》な丸山勇仙が、ほんとうに怖れを感じだしてきたのも無理はありません。
「兵馬、これは斬れまい」
 仏頂寺が、またも冷然として言い放つと、
「何を!」
 笠を投げ捨てた兵馬は、勢い込んで刀を抜き合せてしまいました。
 それ見たことか――勝負心の魔力というものは、得てこうなるものだ。
 兵馬は、ついに離れて、仏頂寺の青眼に対する相青眼の形を取って、ジリジリと、その足の裏の大地に食い込むのがわかる。
 それを見た丸山勇仙が堪り兼ねて、
「おい、仏頂寺、止《よ》せよ、冗談は止せよ、第一、この俺が迷惑するではないか、宇津木、君も刀を引いた方がいいぜ」
 最初は囃《はや》したり、けしかけたりしてみた勇仙は、双方の間に立って、途方に暮れながら騒ぎ出しました。
 丸山勇仙が騒ぎ出したのみならず、遥《はる》か離れて休んでいた山の娘たちも、遠くこの光景を見て総立ちになりました。
「おい、仏頂寺、冗談は止せよ、宇津木、刀を引けよ」
 丸山勇仙は、うろうろとして両者の間を飛びまわる。
 しかも、仏頂寺は冷然として動かず、宇津木は全力を尽して向っている。
「止せったら、止し給え、つまらん芝居をするなよ」
 さすがの勇仙が弱りきって、泣かぬばかりに飛び廻っているのを気の毒に思ったか、仏頂寺が、今までつぶっていた両眼を見開いて、
「これなら打ち込めるだろう」
「ちぇッ」
と兵馬は打ち込まないで、刀を引きました。
「おどかすなよ、ほんとうに」
 丸山勇仙は、ホッと安心して胸を撫で下ろす。刀を鞘《さや》に納めた仏頂寺、
「眼のあるのと、無いのとは、これだけ違う」
 同じく刀を納めて、額の汗を拭いて兵馬は、
「その通り……」
と言いました。
 いったん、総立ちになって、遠くこの光景を眺めた山の娘たちも、そこで静まりました。
 やがて三人は、また打連れて歩き出す。これより先、まもないところに、屋根に拳
前へ 次へ
全88ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング