も劣るところなき名乗りを揚げようというのは骨だ」
「だって、先生、できないということはありますまい」
「拙者には少々荷が勝ち過ぎているかも知れないが、拙者も同じ人間で、絵筆を握っている以上は、できないとはいわない」
「ああ嬉しい、その意気なら先生、大丈夫よ」
「ところで、画題は……何を描いて納めたいのだね、その図柄によって工夫もあるというものだ」
「先生、わたしの望みは少し変っていますのよ」
「うむ」
「わたしは、ひとつ、ぜひ、切支丹《きりしたん》の絵を描いていただいて、納めたいと思っているのでございます」
「え、切支丹だって?」
「わたしの一世一代が、切支丹奇術の大一座というので当ったんですから、それを縁として……」
「いけない」
と白雲が膠《にべ》なくいいました。
白雲から素気《すげ》なくいわれて、お角は急に興醒《きょうざ》め顔になり、
「なぜいけないんでしょう」
「切支丹の額を、観音様へ上げるという法があるか」
「切支丹の額を、観音様へ上げてはいけないのですか」
「それはいけない」
「どうしていけないのです」
白雲が太い線でグングンなすってしまうものだから、負けない気のお角が黙ってはいられないのです。
「どうしていけないたって、第一、観音様と切支丹は宗旨《しゅうし》が違う」
「いいえ、先生、そりゃ違いますよ。観音様は、どの宗旨でもみんな信仰をなさる仏様だっていうじゃありませんか」
「ところが、切支丹ばかりはいけない」
「観音様は、切支丹がお嫌いなんですか」
「嫌いだか、好きだか、そりゃ吾々にはわからないが、第一坊主が承知しない」
「和尚さんが?」
「左様――切支丹の額なんぞを持ち込もうものなら、観音の坊主が、頭から湯気を立てて怒るに相違ない」
「わかりませんね、そんな乱暴なことがあるもんですか。ごらんなさい、あそこの額のなかには、一《ひと》つ家《や》の鬼婆あや、天子様の御病気に取憑《とりつ》いた鵺《ぬえ》という怪鳥《けちょう》まであがっているじゃありませんか、それだのに、切支丹の神様がなぜいけないんでしょう?」
「まあ、そういう理窟は抜きにして、拙者の言うことをお聞きなさい、神社仏閣へ奉納する額面には、額面らしい題目があるものだ、あながち、切支丹でなければならんという法もあるまいではないか」
「ですけれども、わたしには、切支丹の女の神様が、子供を抱いている
前へ
次へ
全176ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング