ところの絵が気に入りました、わたしのところへ来たあちらの芸人が持っていたあれが――油絵具で、こてこてと描いてあるんですけれど、ほんとうに活《い》きているように描けてあります、あんなのを一つ、先生にお願いして納めたら、今までとは全く趣向が変っていますから、どんなに人目を惹《ひ》くか知れやしません」
「ふーむ」
そこで田山白雲が、もう争っても駄目と思ったのか、沈黙して考え込んでしまいました。
つまり頭の置きどころが違うのだ。この女の額面を上げようという意志は、なるべく趣向の変った、人目を奪うような意味で、旧来の額面を圧倒しようという負けず根性から出ているので、画面の題目や、絵の内容などには一切おかまいなしである。ここは争っても駄目だ。白雲は沈黙してしまいましたが、しかし物はわからないながら、この女の気性《きしょう》には、たしかに面白いところがあると思いましたから、
「よろしい、その切支丹をひとつ描きましょう」
と言いました。これが負けず嫌いのお角を喜ばせたこと一方《ひとかた》でなく、相手をいいこめて、自分の主張が通ったものでもあるように意気込んで、
「描いて下さる、まあ有難い、それで本望がかないました」
それから一層心をこめて白雲を款待《もてな》しました。白雲も久しぶりで江戸前の料理に逢い、泰然自若《たいぜんじじゃく》として御馳走を受けていましたが、今宵は、いつものように乱するに至らず、ひきつづいて駒井甚三郎の噂《うわさ》。駒井のために一枚の美人画を描いてやったが、それが、自分ながらよく出来たと思い、駒井も大へん気に入って、この脇差をくれたということ。それから、いいかげんのところで切上げる用心も忘れないでいると、お角が、
「ねえ先生、お差支えがなければ、わたしどもへおいで下さいませんか、二階が明いておりますから、いつまでおいで下さっても、文句をいうものはございません、そこで、どうか精一杯のお仕事をなすっていただきとうございます」
お角は背中の文身《ほりもの》を質においても、奉納の額に入れ上げる決心らしい。
七
田山白雲がお角の宅へ案内されて、二階のお銀様の居間であったところに納まると、お角はとりあえず、かなり大きな二つの額面を戸棚から出して、白雲の前に立てかけました。
この二つの額面は、この間中、ジプシー・ダンスをやっていた一座が持って
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