っぱりあの先生は、気の知れない先生だという説が多く、また一方には、いかさま、その従者であり弟子である小童でさえ、あのくらい強いのだから、主人であり、先生であるあの飲んだくれの強さは、測ることができないのだと、真顔にいうものもありました。それが、どういう拍子で間違ったか、あの先生は、あれはつまりお微行《しのび》の先生だ、ああして浮世を茶にしてお歩きなさるが、実は昔の水戸黄門様みたいなお方に違いないと言い出すものがあると、
「なるほど……」
すべてが、なるほどと頷《うなず》いて、それから道庵に対する待遇が、いっそう重いものになりました。
いつもこういう際における道庵は、転んでもただは起きない結果をつかむ。
道庵は、苦もなく水戸の黄門格にまで祭り上げられたが、その従者たる米友は、隠れたるお附添の武術の達人……特に子供のうちの鍛練者を択《えら》んでお召連れになったのだろうという想像や好奇心で、米友を見たいというもの、もう一度見直したいというものが、玉屋の家の前に溢れています。
そのうち、誰が発見したか、裏手の方から流言があって、
「お坊っちゃんが、今、お湯に入っているところだ」
という報告がありました。
「それ行って見ろ!」
「お坊っちゃんが、お湯にはいっている」
お坊っちゃんとは蓋《けだ》し、宇治山田の米友のことでしょう。薄暮にその姿を見ただけのものは、誰も子供だと思わぬものはない。その主人を黄門格にまで祭り上げた以上は、その従者をも相当の格に扱わなければならない。さりとてお侍ではなし、兄さんと呼ぶのは狎《な》れ過ぎる。本名は聞いていず、やむを得ず、米友を呼ぶにお坊っちゃんの名を以てしたのは、一時の苦しがりでありましょう。
そうして、同勢が、目白押しに湯殿の方へ押しかけて、窓や羽目の隙間にたかって、先を争って、この小勇者の姿を見直しにかかりました。
「違わあ、子供じゃねえ……」
まず覗《のぞ》いて見たほどのものが、風呂桶に浸《つか》っている米友の顔を、風呂行燈《ふろあんどん》の光で眺めて、案外の叫びをなしました。
子供でもなければ、お坊っちゃんでもない、まさに老人である。いや老人かと思えば子供である。何とも名状すべからざる奇怪なる顔貌。まるい目をクルクルとさせて、
「覗いちゃいけねえよ」
その声を聞いて、
「あ……」
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