ゅくはず》れを走りました。
この小勇者、米友の勇気に驚嘆する声が街道に満つると共に、最初逃げ隠れたお差控え候補の侍の弱さかげんを嘲るものもあれば、また、身分があれば相手を嫌うから、あれもまた無理のない態度だと弁護を試むるものもある。また今日、この軽井沢へ泊り合わせた客人のうちに、相当腕に覚えの人もあろうのに、検視に立会うことすらしなかったのは情けない――と嘆くもある。喧々囂々《けんけんごうごう》たるうちに、誰にもわからないのは、道庵先生なるものの了簡方《りょうけんかた》です。いったい、あの先生は強いのか、弱いのか、どういう了簡で裸松の喧嘩を買って出たのか、その了簡のわかったものが一人もありませんでした。ところが、当の道庵先生はいよいよ上機嫌で、
「なあに……わしが手を下すまでのこともねえのさ……弟子に任せておいて、ちょっとあのくらいのものさ。そりゃあそうと、怪我をさせっぱなしもかわいそうだから、ひとつその裸松様というのを見舞って上げずばなるまい」
と言って道庵は、群がる人をかきわけて、倒れている裸松の傍へよって診察をはじめましたから、皆々、いよいよ気の知れない先生だと思いました。
道庵の介抱によって、裸松も正気がつきました。けれど身体が利《き》かず、右の腕は打ち折られて用をなさなくなっていますから、気が立つだけで、仕返しをするの力は絶対にありません。生命に別条はないが、不具《かたわ》にはなるだろうとの診立《みた》てで、かえって土地の人が安心しました。
こうして裸松は問屋場へ担《かつ》ぎ込まれる一方、道庵、米友の二人は、多数の人に囲まれて、胴上げをされんばかりの人気で、玉屋の宿へ送り込まれました。
道庵主従を送り込んだ後も、軽井沢の民衆は、容易に玉屋の家の前から立去りません。
玉屋の前は真黒に人がたかって、そうして口々に、さいぜんの小童《こわっぱ》の強かったことの評判です。
いずれも自分だけが、委細を見届けているような口ぶりで、身ぶり、手真似《てまね》までして見せて、つまり、あの小童は棒使いの名人だということにおいては、誰も一致するようです。
だから、あれだけの短い棒で、さほど数も打たず、強くも打たないで、裸松ほどのものを倒してしまった、おそるべき手練の棒使いだということが、誰いうとなく一般の定評となってしまいました。
次に、道庵先生の評判になると、や
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