を新しい女だといって誹《そし》るものもありません。
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「外へ出て見ますと、周囲の高い山から、雪が毎日、下界へ一尺ずつ下って参ります。やがてこの雪が、山も、谷も、家も、すっかり埋《うず》めてしまうことでしょうが、まだ、谷々は、紅葉の秋といっていいところもありますから、お天気の良い日は、わたしは無名沼《ななしぬま》のあたりまで、毎日のように散歩に出かけます。
温泉の温かさは、夏も、冬も、変りはありません。このごろ、わたしは一人でお湯に入るのが好きになりました。一人でお湯に入りながら、いろいろのことを考えるのが好きになりました。
大きな湯槽《ゆぶね》が八つもありまして、それぞれ湯加減してありますから、どれでも自分の肌に合ったのへ入ることが自由です。真白な湯槽、透きとおるお湯の中に心ゆくまま浸《ひた》っていると、この山奥の、別な世界にいるとは思われません。
昨日も、そうして、恍惚《うっとり》とお湯に浸《つか》っていると、不意に戸があいて、浅吉さんが入って来ましたが、私のいるのを見つけて、きまり悪そうに引返そうとしますから、
『浅吉さん、御遠慮なく』
と言いますと、
『ええ、どうぞ』
と、取ってもつかぬようなことをいって、逃げるように出て行ってしまいました。
なんて、あの人は気の弱い人でしょう。このごろになって、一層いじいじした様子が目立ってお気の毒でなりません。
全く、あの人を見るとお気の毒になってしまいます。死神にでも憑《とりつ》かれたというのは、ああいうのかも知れません。このごろでは、力をつけて上げても、慰めて上げても駄目です。人に逢うのを厭《いや》がること、土の中の獣が、日の光を厭がるように恐れて、こそこそと逃げるように引込んでしまいます。
それにひきかえて、あのお内儀《かみ》さんの元気なことは――お湯に入っているところを見ますと、肉づきはお相撲さんのようで、色艶《いろつや》は年増盛《としまざか》りのようで、それで、もう五十の坂を越しているのですから驚きます。
『あの野郎、もう長いことはないよ』
というのは多分浅吉さんのことでしょう。お内儀《かみ》さんは、浅吉さんを連れて来て、さんざん玩具《おもちゃ》にして、それがようやく痩せ衰えて行くのを喜んで眺めているようです。
浅吉さんていう人も、なんて意気地がないのでしょう。
全く意気地無し――といっては
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