じみと感心しないことはありません。
けれども、親切も度に過ぎるとおかしいことがあるのじゃない……思いやりも、あまり真剣になるとかえって、人の心を痛めるような結果になりはしないかと、わたし、よけいな心配をすることもありますのよ。
弁信さん。
わたしがこちらへ来る前に、あなたは、わたしのことを言いました。
『お雪ちゃん、あなたは、もう年頃の娘さんだとばかり思っておりますのに、そういうことをおっしゃるのだから驚いてしまいます。信濃の国の白骨のお湯とやらが、良いお湯と聞いたばかりで、その間の道中がどのくらい難渋だか、そのことを、あなたは考えておいでになりません。また、その難渋の道中を連れ立って行く人たちが、善い人か、悪い人か、それも考えてはおいでになりません。私がここでうちあけて申し上げますと、あなたは、その白骨のお湯へおいでになった後か、その途中で、きっと殺されてしまいます。いきて帰ることはできません』
この言葉が、今でもどうかすると、わたしの胸を刺してなりません。何かの機会《はずみ》に、はっとこの言葉を思い出すと、胸を刺されるような痛みを覚えますが、それでも暫くするとおかしくなって、弁信さんらしい取越し苦労を笑います。
わたしに笑われて、あなたは口惜《くや》しいとお思いにはなりますまい。あなたのおっしゃったのが本当なら笑いごとではありません。
わたしがこうして弁信さんらしい取越し苦労に、思出し笑いを止めることができないのは、わたしにとっては勿論のこと、あなたにも喜んでいただかねばなりません。
弁信さん。
わたしは無事で道中を済まし、無事でこの温泉へ着いて、今も無事に暮していますから御安心下さいませ。
ただし、無事といいますうちにも――道中では怖い思いもしました。またここへ来てからも、いろいろの人と逢い、珍しいものも見たり、聞いたり致しました。
弁信さん。
あなたの安心のために、わたしはこのごろの生活ぶりを、逐一《ちくいち》記してお知らせ致したいと存じます……」
[#ここで字下げ終わり]
ここまで筆を運んで、お雪はほつ[#「ほつ」に傍点]れかかる髪の毛を撫でました。お雪はこのごろ、髪を洗い髪にして後ろへ下げて軽く結んでいる。自分もこの洗い髪がさっぱりしていると思うし、人もまた、お雪ちゃんには似合っていると褒《ほ》めもする。山中、外出の機会もなし、慣れてしまえば誰も、それ
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