、そういうわけではございません、実は――
七兵衛の大望というのはこうです。
徳川初期の歴史を知っているものは、家康が金銀に豊富であったことと、その金銀を掘り出すのに苦心したことを知っている。
そのうち、豊臣家から分捕った「竹流し分銅《ふんどう》」という黄金がある。
この「竹流し分銅」は一枚の長さ一尺一寸、幅九寸八分、目方四十一貫、その価、昔の小判にして一万五千両に当るということを聞いている。それを徳川が、豊臣から分捕った時には、たしか五十八枚。大坂の乱後、家康が、井伊|直孝《なおたか》と藤堂高虎の功を賞して手ずからその一枚ずつを与えたほかには、「行軍守城用、莫作《なすなかれ》尋常費」の銘を打たせて大坂城内へ秘蔵して置いた。
その後、改鋳のことがあって、四代以来、この分銅へ手をつけ出し、今は残り少なになってはいるが、まだ有るには有ると聞いている。それはどこにあるのか、やはり四代以前の時のように大坂城内に秘蔵されているのか、或いは江戸城の内にもちこされて来ているのか――盗人冥利《ぬすっとみょうり》には、その分銅を手に取って、一目拝むだけ拝んでおきたいものだが、自分にはその所在の当てがつかない――なんと神尾の殿様、誓って、あなたに御迷惑はかけませんが、あなたのお手で、その黄金の所在の点だけがおわかりになりますまいか――それがわかりさえ致せば、自分が一人で行って拝見をして参ります、と七兵衛がいう。
十四
その日の夕方、七兵衛の姿は、芝の三田四国町の薩摩屋敷の附近に現われました。
薩摩屋敷の中では、一群の豪傑連が、その時分、額《ひたい》を鳩《あつ》めて、江戸城へ火をつけることの相談です。江戸城の西丸のどこへ、どういう手段で火をつけるかということ。その先決問題は、どうしたらいちばん有効に江戸城へ忍び込むことができるか。
かほどの問題も、ここでは声をひそめて語るの必要がなく、子供が野火をつけに行くほどの、いたずら[#「いたずら」に傍点]心で取扱われる。
彼等は関八州を蜂の巣のようにつき乱すと共に、江戸城の西丸へ火の手を上げる、これが天下をひっくり返す口火だと考えているものが多い。
それに比ぶれば、七兵衛の野心などは罪のないもので、「行軍守城用、莫作尋常費」とある黄金の分銅一枚を見さえすれば満足するのですが、しかし、その苦心の程度に至っては
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