これは猫に小判ではない、たしかに猫に鰹節ですが、この猫は牙を鳴らして、飛びかかりはしないが、猫撫で声をして、
「七兵衛さん、眩《まぶ》しくってたまらないから、蝋燭《ろうそく》を一挺にしたらどうです」
「へ、へ、へ、いや、これで結構でございますよ」
 見向きもしないで、また新たに小判の包みを一つ、ザクリと切ってブチまけたのは、いよいよ気障《きざ》です。
「小判のようですね」
「へ、へ、小判でございます」
「贋《にせ》じゃあるまいね」
「どう致しまして……小判も、小判、正真正銘の慶長小判でございますよ」
「本当かい」
「論より証拠じゃございませんか、一枚|嘗《な》めてごらんなさいまし」
と言って七兵衛が、その小判のうちの一枚を取って、敷居ごしの隣座敷のお絹の膝元まで、高いところから土器《かわらけ》を投げるような手つきで抛《ほう》ると、それがお絹の脇息《きょうそく》の下へつきました。
「お見せな」
 お絹はその一枚を手に取り上げて、妙な面《かお》をして眺めました。
「色合からして違いましょう」
「そうですね」
「それから品格が違います」
「そうかしら」
「これと比べてごらんあそばせ――こちらのは、常慶院様の時代にお吹替えになりました元禄小判でございますよ」
といって、七兵衛はまた一枚の小判を取って高いところから土器を抛《ほう》るような手つきで、お絹の脇息の下まで送りました。
「お見せな」
 それを、また拾い上げたお絹は、花札をめくるような手つきで、以前のと扇子開《せんすびら》きに持ち添えて眺め入ると、
「色合から品格――第一、厚味が違いましょう」
「なるほど」
「時代がさがると、金銀の質《たち》までさがります」
 七兵衛は抜からぬ面で、
「御通用の金銀を見ますと、その時代の御政治向きと、人気が、手に取るようにわかるから不思議じゃございませんか」
と、「三貨図彙《さんかずい》」の著者でもいいそうなことをいう。
「まあ、篤《とく》とごらん下さい。この慶長小判の品格といい、光沢といい、細工の落着いた工合といい、見るからに威光が備わっていて、なんとなしに有難味に打たれるじゃございませんか」
 自分も慶長小判の一枚を取り上げて、さも有難そうに見入ります。
「そういわれれば、そうです」
とお絹も感心したように、慶長小判の色合にみとれている。
「この小判一枚を見ても、権現様《ごんげん
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