官の悪評をしているところへ、川上が来合わせて、暫くその話に耳を傾けて、やがて外へ出てしまった。多分小便にでも出かけるのだろうと思っていると、やがて、平気な面《かお》をして立戻った川上を見ると、片手に生首《なまくび》を提げていた。それはただいま評判に上った悪代官の首であった――
 当時、人を斬るといえば必ず斬った者が三人はある。武州の近藤勇、薩摩の中村半次郎(桐野利秋)――それと肥後の川上彦斎。

         十二

 根岸の御行《おぎょう》の松の下の、神尾主膳の新屋敷の一間で、青梅《おうめ》の裏宿の七兵衛が、しきりに気障《きざ》な真似《まね》をしています。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]と違って七兵衛は、あんまり気障な真似をしたがらない男でありますが、どうしたものかこのごろは、しきりに気障な真似をしたがる。
 というのは、毎晩、いいかげんの時刻になると、百目蝋燭を二挺までともし連ねて、その下で、これ見よがしに銭勘定を始めることであります。
 金銭や学問は、有っても無いふりをしているところに、幾分おくゆかしいところもあろうというものを、こう洗いざらいブチまけて、これ見よがしの銭勘定を始めたんでは、全くお座が冷《さ》めてしまいます。事実、七兵衛の前に、堆《うずたか》く積み上げられた金銀は、お座の冷めるほど、根太《ねだ》の落ちるほど、大したもので、隣りの千隆寺から持って来たお賽銭《さいせん》を、ひっくり返しただけではこうはゆきますまい。
 近在へ、盗み蓄えて置いたのを、残らずといわないまでも、手に届く限り持ち込んで、ここへこうして積み上げて、銭勘定を始めたものとしか見えません。第一、分量において、お座の冷めるほど、根太の落ちるほど、積み上げられたのみでなく、種類においても、大判小判を初め、鐚銭《びたせん》に至るまで、あらゆる種類が網羅されてあり、それを山に積んで、右から左へ種類分けにして、奉書の紙へ包んでみたり、ほごしてみたり、叺《かます》へ納めてみたり、出してみたりしている。
 それを、また、いい気になってその隣りの一間で、脇息《きょうそく》に肱《ひじ》を置いて、しきりに眺めている人があります。
 これ見よがしに、金銀をブチまけるのも気障だが、人の金銀を涎《よだれ》を垂らして眺めている奴も、いいかげんの物好きでなければならぬ。その物好きは、お絹という女です。

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