。それを聞いていると、どこまでも遊山《ゆさん》気取りです。
 いったい、この連中、亡者みたように道中を上下しながら、こうも暢気《のんき》なことがいっていられるのは不思議だ。いったい、路用の財源はどこから出るのだろうと、兵馬はまじめに人の懐ろまで心配してみました。しかし、まあこのくらいに腕が出来、武芸者として面《かお》が売れていれば、到るところに相当の知己があって、多少の路用には事欠かないのだろう――お銀様と別れた後の自分は淋しい。人の気も知らないで、といったような気分にもなりました。
 そうして松本をめざしてゆくと、松本方面から、飄然《ひょうぜん》と旅をして来た浪士|体《てい》の精悍《せいかん》な男が一人、
「やあ、仏頂寺……」
と、いきなり先方から言葉をかけると、
「おや、川上」
と仏頂寺が合わせました。
「何をうろうろしているのだ」
 先方がいう。
「吾々は亡者だから、気の向いたところを行きつ戻りつしている。君は、そうして、ちょこちょこと、どこから来てどこへ急ぐのだ」
「松代《まつしろ》からやって来たが、これから上方《かみがた》へ上るのだ」
「吾々はまた、この同勢で浅間の温泉へ行こうというのだ、君も附合わないか」
「そうしてはおられぬ」
といって、この男はさっさと行き過ぎてしまいました。
「川上の奴、松代へ何しに行ったのだ」
「態々《わざわざ》行ったのじゃあるまい、江戸からの帰りがけだろう」
 こういって、仏頂寺と、丸山とは話しながら、川上と呼ばれた浪士と袂《たもと》を分ちました。
 兵馬は知らない人だが、その川上と呼ばれた男、見たところ柔和なうちに精悍な面魂《つらだましい》と、油断のない歩きぶりと、殺気を帯びた歯切れのよい挨拶ぶりを聞いて、なんだか一種異様な印象を与えられました。
「あれは肥後の川上|彦斎《げんさい》といって、穏かでない男だ」
と仏頂寺が簡単に説明してくれたので、兵馬が初めてその名を知ることができました。
 仏頂寺の註釈通り、肥後の川上彦斎は甚だ穏かでない男であります。佐久間象山を殺したのも、実はこの男でありました。象山を殺しておいて、なにくわぬ面《かお》で象山の家へ行って、平気で寝泊りをしていたのもこの男であります。剣術はさのみ優れたりとは見えないが、人を斬ることには凄い腕を持った男の一人であります。
 或る時、或る席で数名の者が、ところの代
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