は泣いてるじゃないか、涙を拭いている様子だ」
 実際、離れて見ると、意外な光景には違いありません。
 行商の一隊が、まるくなって取巻いて休んでいる中に、宇津木と、その山の娘のうちの一人とが、しきりに懐かしそうな立ち話をつづけている。
 仏頂寺と、丸山とは、それをぼんやりと、いつまでも見ていなければならない有様となっている。調子が少し変ってきました。
 山の娘たちは密集を得意とする。里に出る時は散逸しても、険山難路を過ぐる時は必ず集合する。事急なる時は必ず密集する。密集すれば、獅子も針鼠を食うことができない。ナポレオンも、アレキサンダーも、密集の利益を認めていた。二十余人の女が密集すれぼ、いかなる兇漢も、ちょっと手がくだせまい。
 そこで密集は力である。どうかすると山の娘たちは、この密集の中に窮鳥を包容することがある。いかにもこの密集の中へ包んで、白根の山ふところへもちこんでしまえば、捜索の人を、永久に隠匿《いんとく》することができる。天保の大塩の余党のうちにも、これらの手によって、山の奥へ隠され、再び世に出でない安楽の生涯を終ったものがあるという。江川太郎左衛門ほどの英物が竹売りに化けて、斎藤弥九郎を引連れ、甲州へ隠密《おんみつ》に入り込んだのもそのためであったが、ついに得るところなくして終った。
 女は弱いことになっているが、それでも団結はやはり力である。山の娘たちは団結的に訓練されている。
 仏頂寺と丸山は兵馬を後にして、忌々《いまいま》しそうに歩き出し、
「ここだ!」
 二人、足を止《とど》めたのは、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原のちょうど真中ごろ。
 あの時の不思議な立合。二人の眼の前に、過ぎにし剣刃上の戯れがまき起る。
 この時分、宇津木兵馬はようやく、女との立ち話が済んで、二人の跡を追うて来るのを認めます。仏頂寺弥助は、その当時、机竜之助が立ったところに立って、兵馬の来るのを待っている。
 山の娘たちは草原の上に休んだままで、申し合わせたように、こちらを眺めている。
 兵馬が急いで、二人の跡を追いかけて、ここへやって来た時、以前、竜之助が立っていたところに立っていた仏頂寺が、
「宇津木、問題の場所はここだ、ここにそれ、こうして……」
 兵馬を、麾《さしまね》いた仏頂寺弥助の気色《きしょく》なんとなく穏かならず、どういう料簡《りょうけん》か、近づく兵馬を
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