まいました。
 そこで、取組み合い、なぐり合い、引掻き合いが見ているうちに起り出し、女子供は泣きさけんで救いを求めるの有様です。
 高いところで見ていたお角は、直ぐにその目の下の混乱によって、また始めやがったなという苦々しい表情です。
「オレ[#「オレ」に傍点]のだい、オレ[#「オレ」に傍点]のだい、オレ[#「オレ」に傍点]の下駄だってえばよう」
 下卑た声が甚だしい耳ざわりで、混乱の中から起るのを聞いていると、たしかにこの混乱の原因は、下駄の擁護から起っているらしい。人より三分間ばかり下駄を後に穿《は》くか、先に穿くかという問題から、なぐり合い、つかみ合い、引掻き合い、取組み合いが起ったものらしい。どうもそのほかには、お角にも原因らしいものが見当りません。
 幸いに、お角は少しばかり高いところにいたものですから、この混乱の現状を、活動写真を見るよりも鮮やかに見て取ることができました。しかし、お角は、この騒ぎは、甲府の一蓮寺の時のように、大事《おおごと》にはならないと見て取りました。混乱するだけ混乱させ、取疲れるまで取組ませておけば、おのずから静まる性質のものだと、タカ[#「タカ」に傍点]をくくっていたのです。
「オレ[#「オレ」に傍点]のだい、オレ[#「オレ」に傍点]の下駄だと、先刻《さっき》からいってるじゃねえかよう」
 こういう場合の噛《か》み合いの特長は、きまった相手というものがなく、最も手近なところにあるありあわせの頭がその相手であります。喧嘩の上手というのは、最も僅少の時間に、最も多くの頭をなぐり、素早く身をひく人間のことで、その最も拙劣なのは、最も多くなぐられながら、その一人の相手をもつかまえることのできない人間であります。
 しかし、下手も上手も、共に一時《いっとき》で、お角の見込み通り大事に至らずして、やがて、この活劇もおしまいになり、千秋楽のお景物として、一つの愛嬌を添えたもののように消滅してしまったのは、いよいよ市《いち》が栄えたと申すものです。
 それをお角はひややかに笑い捨てて、ざっと場内をめぐり歩くうち、ふと、例のところへ来て、場外を見ると、以前にながめた通り、そこは回向院境内の墓地であります。
 お角のながめることがもう少し早かったならば、そこに以前の一行がおまいりに来ていて、ことにその中には、お角の熟知しているムク犬も加わっていたことだから、お角とてもだまってはおれなかったろうが、この時はもう一行は去って、誰もおらず、ただ香のけむりが断々《きれぎれ》としてのぼっていることによって、お角はまたあのお墓へ誰かおまいりに来たなと思っただけでした。
 あのお墓へは、駒井甚三郎もお参りに来たし、今日もまた誰かお参りに来たようだが、いったい誰の墓なんだろうと軽くお角の頭にのぼっただけで、それ以上には想像を逞《たくま》しくすることがありませんでした。
 もう少し深く突きとめて、これが、嘗《かつ》ては自分の下に使ったことのある、お君という薄命な娘の、地上における存在の記念であると知ったならば、お角とても、そのままにはしていなかったろうに――
 今のお角には、お君という女の死生《ししょう》も知らず、まためまぐるしいこのごろの生活では、ホンの少しばかり念頭に上って来ることさえ極めて稀れであったのです。
 それで、あっさりと、それだけが頭脳にうつっただけで、やがて階《きざはし》を下って、土間から楽屋の方へと進んで行くと、楽屋の入口でやかましい人の声。
 その声を聞きつけて、お角は忽《たちま》ち気取《けど》ってしまいました。
 寄生虫がやって来たな。
 興行界を渡りあるくゴロがやって来たな、今まで来なかったのが不思議だが、果してやって来た、千秋楽を見込んでやって来たからには、ただは動くまいと、お角は度胸をきめてその方に出向くと、
「親方!」
 ゴロが早くも認めて呼びかけました。その背後には四五人の同勢がいる。
「何です」
「おめでとう、大当りでおめでとう。だが親方、いいことの裏には悪いことがある、あんまり当り過ぎると罰《ばち》が当るから、用心しなくちゃいけねえぜ」
「大きに有難う、それがどうしたというの」
「勝って兜《かぶと》の緒を締めろとはここなんだぜ、親方」
「何だかわからないよ」
「高い木は風に揉まれるというやつさ……親方が大当てに当てたもんだから、世間から目ざされるようになったんだ。世間から目ざされるようになるとあぶない」
「何があぶないんだエ、なにもわたしは、世間様から目ざしてもらおうともなんとも思っちゃいないんだよ、名前を売りたいとか、親分になりたいとか、そんな了見《りょうけん》でやってるんじゃありませんからね、商売でやってるんだから、当ることもありゃ、外《はず》れることもありまさあね」
「まあ、そう、ポン
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