ポンおいいなさるな、親方のためと思えばこそ、こうしてやって来たんだから」
「大きに御苦労さま……何か、わたしを暗討ちにでもしようという噂があるんですか」
「そういうわけじゃねえがね、つまり、人気をしめた時は、財布をあけろというたとえがあるでございましょう、そこですよ、世間の口がうるさくっていけねえ、ばかばかしいようなもんだけれど、そこがそれお愛嬌で、如才なく立廻らないと損ですからねえ。早い話がわっしたち四五人が、これから盛り場を廻って、女軽業の親方はこれこれだと触れ廻ってごらんなさい。白いものでも忽《たちま》ち黒くなり、黒いものでも忽ち白いものになりますからね」
 お角もこの道の苦労人ではあり、馬鹿ではありませんから、この連中を相手に争っては損だということぐらいは知っています。事実、この連中が気を揃えると、場合によっては、せっかくの名興行師を塗りつぶすこともできるし、また一夜作りの千両役者を仕立てて、世間をオドカすこともできるのだから、お角の気象としてはこの場合、鎧袖一触的《がいしゅういっしょくてき》にやってみたいのだが、鎧袖一触も用いようによっては大笑いの種ですから、あまり力《りき》まないのがよいと思いました。そこで、
「御尤《ごもっと》もでございます、なにぶん行届かない我儘者《わがままもの》でございますから、この後ともによろしく。どうかまあ、こちらへお上りくださいましな」
といって、丁寧に上へ招じたのは、お角としては気味の悪いほどの如才なさです。
 いつの世、いかなる社会にも、寄生虫というものは絶えたことはないが、真正の批評家は極めて稀れである。
 寄生虫は、瓦礫《がれき》を鍍金《めっき》して、群衆に示し、共謀して、それをなるべく高価に売りつけようとする。そうして、蔭で舌を吐いていう、
「こんな代物《しろもの》でも、おれたちの手にかかれば、これだけの高値《たかね》に売れる」
 寄生虫のいいたいことは、これだけである。為し得ることもまたそれだけである。
 けれども、独特の生活力を有していない生物は、どうかするとこの寄生虫に食われてしまうことがある。
 招かざるに来《きた》るバラサイト。
 わが親愛なるお角さんを、こういうもののために苦心させたくない。
 自分を、タカ[#「タカ」に傍点]の知れた女軽業の親方以上には評価していないお角さんは、自分の仕事の性質を、ジョン・ラスキン氏のところへ聞きに行くわけにもゆかず、タンカ[#「タンカ」に傍点]は切ってみるものの、そこは女の身、ガラリと折れて寄生虫の四五人を上座に招じ、厚くもてなした上に、おみやげまでも調えて、帰る時は先へ廻って下駄まで揃えて帰したお角さんは、憎むべき人でもなんでもなくて、ほんとうに可愛い人ではありませんか。
 こうして西洋大奇術は千秋楽となり、その翌日、与八とお松の一行は、沢井へ向って出立すると、まもなく、御老女はまた多くの供をつれて、上方《かみがた》へ出かける。それがすむと、集まるほどの浪士たちが、ずいぶん仰々しい勢いで、この屋敷を引払いました。
 浪士たちの行くところは、無論、芝の三田の四国町の薩摩の屋敷でありました。
 浪士たちが、半ば示威運動みたような勢いで、花々しくこの屋敷を引払うと、その晩のことに、火が起って、この屋敷を焼き払ってしまいました。
 その火の起りについては、浪士たちが自分でつけて去ったのだという説もあれば、市中取締が焼き払ったのだという説もあって、どちらがどうだか、よくわかりません。
 しかし、この屋敷一軒だけで食いとめたのはまだ幸いでありました。附近の人は、むしろこの立退きと、焼払いをよろこんだようです。これで相生町の名物が、一つなくなったわけですが、危険区域が移転したような心持で、近所の人が枕を高くしたのも、無理のないところがあります。けれども、原則からいって、一方に消滅したものは、必ず一方に増加するわけですから、次には芝の三田の四国町の薩摩屋敷に、また一層の危険分子が加わって、江戸市中の脅威になるという結果になるかも知れない。
 実際、薩摩屋敷に集まるものの目的と行為は、江戸の市中を脅威したり、愚弄したりするために存在しているような形でありましたが、そうかといって、これを一概に、暴民暴徒の巣のようにいってしまうのは誤りです。また、こういうものを存在せしめた策士の横暴を、無条件に憤るのも当らないことであります。
 薩摩屋敷へ浪士を集めたのは、西郷隆盛と後の板垣退助も関係していたということでありますが、徳川幕府を倒さねばならぬという志士浪人の頭に、同時にひらめくのは、いつも徳川と薩摩との仲をよくさせてはならないということでありました。
 徳川家と薩摩とは、姻戚《いんせき》の関係もあったりして、どうかすると黙契が成立しそうになる。もしも薩
前へ 次へ
全72ページ中70ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング