ヨーロッパ》の間を旅から旅へとうつり歩く一種族でございまして、曾《かつ》て一定の国というものを持ちませぬ、また一定の家というものを持ちませぬ、青空の存するところが彼等の故郷にございまして、水草の生えるところはすなわち我が家、と申す有様でございます……何故に、このジプシー族に限って、国と家とを持たず、太古より今日まで、漂浪を続けているかと申しまするに……彼等はその昔|切支丹宗《きりしたんしゅう》の救い主を殺した罪の報いによって、その国を失い、ついに生涯枕をする土地を与えられなかったのだそうでございます……」
説明半ばで、駒井甚三郎が、これは少し変だと思いました。この説明人は、ジプシー族とユダヤ族との伝説を混同しているなと思いました。しかし、多数の見物は一向そんなことを念頭には置かず、極めておとなしく説明を聞いていると、咳払い一つした春日長次郎は、続けて、
「しかしながら、切支丹の罪によって国を逐《お》われ、枕するところを奪われたジプシー種族に、二つの恵まれたものがございます、その一つは音楽でございまして、他の一つは美人なのでございます。このジプシー種族には、古来、非常な美人が生れまして、欧羅巴《ヨーロッパ》の貴族をして恍惚《こうこつ》たらしめたこともございます。また、天性、音楽が巧みでございまして、彼地《あちら》の大音楽家も、ジプシーから教えられたものがあるそうでございます……とはいえジプシーは、救世主を殺した罪の種族でございますから、これを見ることは許されても、これに触れることは許されませぬ。たとい、ジプシーの女、花のように美しうございましょうとも、それに触れた者は、手を触れたものも、触れられた女も、共に不祥の運命に終ると申し伝えられてあります。でございますから、ジプシーの美人の美しさは、花のように美しく、また花のように盛りが短いとされておりまするのでございます。皆様方はこのジプシーの女のために、その一生を誤った欧羅巴の貴族と僧侶のお話を御存じでございますか……これよりごらんに入れまするジプシー・ダンスは、日本で申しますると、ふいご[#「ふいご」に傍点]祭におどる踊りでございます、花恥かしい乙女《おとめ》が、鈴の輪を持ちまして、足ぶり面白く踊ります。また日本の三味線、琵琶に似たところのギターとマンドリン、それに合わせて歌いまするそのあでやかな人と音色《ねいろ》……長口上は恐れあり、早速ながら演芸にとりかからせまする」
春日長次郎はかなりの能弁で、一通り由来を述べ終って卓の上なる鈴《りん》を振ると、後ろの幕が二つに裂けて、そこから賑やかな音楽が湧き起りました。
幕があくと、天幕張《テントば》りの漂浪生活の前に、二三のジプシー族の若者が鍛冶屋《かじや》をしている。盛んに鉄砧《かなしき》を叩いているところへ、同じ種族の一人の子供が糸の切れたギターを持って来て、向槌《むこうづち》を打っている男に直してくれと頼む。男が槌をさしおいて、それを直してやって調子を試むると、それに合わせて他の一人が歌い出す。と、子供が踊る。
そこへ禿頭《はげ》の老爺《おやじ》が来て、そう怠けてはいけないと叱る。若者は仕事にかかる。子供はギターを鳴らして歌うと、叱った老爺が踊り出す。それを鍛冶屋が調子を合わせて槌を打ちながら歌う。ゾロゾロと子供が出て来てみな踊る。山の神連(ジプシーの女房たち)が出て来て、ガミガミいう。多分、この御苦労無しの親爺《おやじ》めが、今ごろ何を踊りさわいでいるのだと罵《ののし》るものらしい。親爺は恐縮して逃げながら踊る。子供たちはギターを合わせる。ついには山の神連まで、浮かれて踊る。すべて踊って歌って大はしゃぎになっているところへ、遽《にわ》かに注進らしいのが来る。そこで口早に人々に告げると、皆々|狼狽《ろうばい》して逃げ隠れようとする。
そこへ、花やかな騎士が、従者をつれてやって来ると、ジプシー族は異様な眼をしてそれを眺める。花やかな騎士は、人の名を呼んで誰かをたずねるらしい。ジプシー族はみな首を振って知らないという。騎士と従者は失望して行ってしまう。
ジプシー族は、それを見送って、何かしきりに言い罵っていたが、若い者のうちには、腕を扼《やく》して、そのあとを睨《にら》まえ、追っかけようとする素振《そぶり》を示す者がある。老巧者がそれをささえる。子供は頓着なしにギターを掻き鳴らす。けれども以前のように浮き立たない。
そこへ賑やかな鳴り物が入って、蝶の飛び立つように入って来た一人の少女があった。
黒い髪、ぱっちりした瞳、黄金色《きんいろ》の飾りをしたコルセット、肩から胸まで真白な肌が露《あら》われ、恰好のよい腰の下に雑色のスカートがぱっと拡がると、その下から美しい脛《はぎ》が見える――この少女は息せききってこの場へ駈け込
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