それとは知らない二人づれの墓参りは、やがて墓の前を辞して徐《おもむ》ろに以前入って来た木戸口を出て、魔術の小屋へ吸い寄せられる人足《ひとあし》に交り、相撲茶屋を横に見るところへ来ると、
「モシ、それへおいでになりますのは?」
と呼びとめたもののあるのは、どうも自分たちを指したものらしい。二人は、ちょっと二の足を踏みますと、早くも、そこへ駈け寄って来た女の人、
「駒井甚三郎様」
立ちどまった以前のさむらい[#「さむらい」に傍点]はハッとしました。追いついて来たのは大魔術の勧進元のお角。
「おお、そなたは……」
駒井は、その女を見ると、あわただしいそぶりであります。
「まあ、駒井の殿様……いつこっちへお越しになりましたんですか、あんまりじゃございませんか、わたくしどものところへなんぞ、お沙汰《さた》も下さらないで、ほんとうにお恨みに存じますよ」
お角はこの人を見ると、まず怨《うら》みの言葉を浴びせかけるほどに、熱しているものと思われます。
「今、ここへ着いたばかりじゃ」
「お宿は柳橋でございますか」
「ついこの先……」
申しわけのようにする駒井の返事を、お角は焦《じ》れったそうに、
「なんに致しましても、ここを素通りはなりませぬ、おいやでもござりましょうが、ぜひお立寄りを願わなければ」
といって、お角は、連れのお屋敷風のキリリとした娘の姿を、心ありげな眼つきでながめますと、その娘もはっとしましたが、何にもいわず軽い会釈をして、やや手持無沙汰でいると、駒井は迷惑がって、
「どのみち、宿をきめてから」
こういいますと、お角は、もとより逃《のが》さないつもりですから、
「まあ、左様におっしゃらず、わたくしどもの一世一代を御見物下さいませ、ずいぶん、骨も折れましたが、まんざらごらんになって腹の立つようなものばかりでもございません」
「ははあ、この興行は、お前がやっていたのか」
「左様でございます、御案内を致します。お嬢様、どうぞあなた様も、御迷惑でも殿様のおつきあいをなさいませ」
「お松どの、せっかくのことだから見せてもらおうか」
「はい……」
御屋敷風の娘は、老女の家のお松であること申すまでもありません。お松はこの返事に躊躇《ちゅうちょ》しましたのは、墓参《ぼさん》の帰りに……という気がトガめたのかも知れません。
しかしながら、駒井甚三郎は、どのみち退引《のっぴき》ならぬ相手につかまったものと観念をしたのでしょう、お角の案内に随って、遠慮をするお松を引具《ひきぐ》して、ついにこの小屋へ足を向け、
「相変らずエライことをやり出したな。なに、切支丹の魔術……それは面白い。この看板は誰がかいたのじゃ、日本人に描かしたのか、彼地《あっち》から持って来たのか。向うの下絵によって写したと。なるほど、横文字入りで変った図柄じゃ、とにかく、これだけのことをやり出したお前もエライが、向うへ渡ってこれを持って来た奴もエライな。ナニ、春日長次郎……柳川一蝶斎の一座で先立ちして来た男だと。知らん、すべて拙者はまだ日本のものも、西洋のものも、手品というは評判だけに聞いて、本物を見るのは今日がはじめてじゃ。日本のものを向うへ持って行けば相当に面白かろう、むこうのをそのままこっちに見せることは一層珍しい。誰が周旋してくれたのじゃ。ほかの興行と違って、見る人に新知識を与え得るものでなくてはならぬ」
駒井甚三郎はこういいながら、相撲茶屋から御簾《みす》の桟敷《さじき》へ案内されました。
三
駒井甚三郎とお松が案内された席は、ついたった今、お梅がそっと入り込んだ御簾の桟敷の一間であります。
それと見てお梅は、遠慮して席を避けようとするのを、お角が、
「いいから御免を蒙《こうむ》って、そうしておいで」
そこで、この一間には主客都合四人が納まった時分に、ようやく春日長次郎のジプシー・ダンスの口上が始まりましたから、駒井甚三郎は、ちょうどこれを見るために、わざわざこの席へ来たような具合になりました。
春日長次郎は、五十恰好の禿《は》げた素頭《すあたま》の血色のよい面《かお》をして、例の和服とも、支那服ともつかない縫取りのある広袖の半纏《はんてん》に、大口のようなズボンを穿《は》いて、舞台に現われ、
「さて、東西のお客様方、初日早々かくばかり盛んな御贔屓《ごひいき》をいただきまして、一同の者、何とお礼を申し上げよう術《すべ》もなく、有難涙に咽《むせ》びおりまする次第でございます。ただいままで、だんだんとごらんにそなえました技芸、ことごとくお気に叶いまして、楽屋一同の感謝にございまするが、ことにこのたびごらんに入れまするは、ジプシー・ダンス……これはお聞き及びでもございましょうが、太古より今日に至るまで、亜細亜《アジア》洲と欧羅巴《
前へ
次へ
全72ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング