んで、
「皆さん、ただいま」
多分、そういったような、晴々しい呼び声で、一同が甦《よみがえ》ったように、その少女を取囲んで、
「おお、マルガレット、無事か」
といったような歓声が起る。少女は、息をはずませて何か口早に物語をすると、老若男女が皆、背伸びをしてそれを聞こうとする。少女の物語は、何か多少の恐怖から解放されて来たもののような表情であります。その物語を聞いてしまうと、老若男女が、また歓声を揚げる。そのうちにも以前の若者らは強がりの身ぶりをして、騎士らの立去ったあとを睨まえて、腕をさすって見せる。そのうちに子供たちがギターを鳴らしはじめると、一同が浮かれ出す。右の少女が、
「では皆さん、踊りましょう」
といったような声で、タンバリンを振り鳴らして自分が真中で、めざましい踊りをはじめると、老若男女がそれを囲んで、総踊りに踊って踊りぬくと幕。
駒井甚三郎は、その一幕を見終ると、帰ると言い出しました。
もう一場、あとの本芸をぜひ――というのを振切って、お松を連れて、この小屋を辞して、お角に後日の面会を約して己《おの》が宿所へと立帰りました。
四
ジプシー・ダンスが終って、駒井甚三郎とお松は辞して帰ったあとで、大詰《おおづめ》の奔馬《ほんば》の魔術という大道具の一場があって、その日の打出しとなりましたが、これを最後まで見ていた見物のうち、二人の壮士がありました。
もう黄昏時《たそがれどき》です。この二人の壮士は、小屋を尻目にかけて悠々と闊歩して、例の相生町の老女の屋敷へ入り込みます。
といっても、この二人の壮士は南条と五十嵐ではないが、二人ともに疎鬢《まばらびん》で直刀丸鞘を帯びているところ、たしかに薩摩人らしい。この黄昏時、老女の屋敷へ二人とも、大手を振って乗込んだが、玄関に立って大声で怒鳴ると、その声を聞きつけて走り出でた二人の壮士。
それと暫く問答をかわしていたが、訪ねて来たのは上へあがらず、面《かお》を出した邸内の壮士二人が下り立って、都合四人づれで市中へ出ました。
付け加えてこの日は、黄昏時になると、ようやく風が強く吹き出し、四人づれが両国橋を渡りきって矢の倉方面に出た時分には、バラバラと砂塵が面に舞いかかるほどの強さとなります。
「強い風じゃ、火をつけたらよく燃えるだろう」
「でも、江戸を焼き払うほどの火にはなるまい」
「それは地の利を計らなければ……先年、大楽《おおらく》源太郎と、地の利ではない、火の利を見て歩いたが、彼奴《きゃつ》、人の聞く前をも憚《はばか》らず、今夜はここから火を放《つ》けてやろうと、大声で噪《さわ》がれたのには弱った」
「あれは、そそっか[#「そそっか」に傍点]しい男だが、感心に詩吟が旨《うま》かった」
「どうだ、ひとつ放《つ》けてみようか」
「しかし、つまらん、江戸城の本丸まで届く火でなければ、放《つ》けても放け甲斐がごわせぬ、徒《いたず》らに町人泣かせの火は、放けても放け甲斐がないのみならず、有害無益の火じゃ」
「有害無益の火――世に無害有益の放火《つけび》というのもあるまいが」
「では、通りがかりの道草に、いたずらをしてみようか」
「地の利と、風の方向を考え、且つ、なるべくは貧民の住居に遠く、富豪の軒を並べたところをえらんで……」
「面白かろう」
さても物騒千万ないたずらごと。この四人の壮士が傍若無人《ぼうじゃくぶじん》に試みた火つけの相談は、冗談ではなくて本当でありました。それからまもなく、風が強くなるに乗じて、この連中の行手にあたって、日本橋の呉服町のある町家の軒から火の手があがって大騒ぎとなりましたが、それは発見されることが早くて、まもなく揉み消したかと思うと、山下町あたりのある旗本屋敷が、またしても、それ火事よと騒ぎ立てて、これはほとんど大事となり、一軒を丸焼けにしておさまりました。
次に、やや時間を置いて芝口のある商家、これも大事に至らず消し止めましたが、それから程経て、神明の前の火の見櫓が焼け出したのは皮肉千万であります。
筋を引いて見れば、ちょうどこの四人の壮士の過ぐるところ、四カ所で火が起ったわけです。これはまた途方もないいたずら[#「いたずら」に傍点]で、いやしくも武夫《もののふ》の姿をした者共の為すべからざる、いたずら[#「いたずら」に傍点]であるに拘らず、このいたずら[#「いたずら」に傍点]は、誰にも発見されず、その残したいたずら[#「いたずら」に傍点]の脱け殻だけが人騒がせをして、当の本人たちは悠々として芝の三田の四国町まで来ると、そこに薩摩、大隅、日向三国主、兼ねて琉球国を領する鹿児島の城主、七拾七万八百石の島津家の門内へ乗込もうとする。音に聞く島津の家の門番は、この途方もないいたずら[#「いたずら」に傍点]者を、どう処
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