って、これでも男のはしくれ、罰《ばち》があたりますよ」
「福兄さんに、そ言って下さい、たべていただかなくってもようござんすよ、大切に漬けておいて、梅干にしますから困りませんって」
「梅干はかわいそうですね」
「かわいそうなことがあるものか、第一梅干にしておけば、土用を越したってなんともないし、それに実用向きで……」
「あやまる、あやまる」
 金助はしきりに頭を下げて、
「若い娘が梅干気取りでおさまっていりゃあ、世話はないや」
「世話はありませんとも、梅干一つありゃほかにおかず[#「おかず」に傍点]なんか何も要りません」
「あれだ、手がつけられねえ」
 金助はまたも額《ひたい》を丁《ちょう》と打って、
「冗談はさて置き、いったい、親方という人は、今時分ドコをドウうろつい[#「うろつい」に傍点]てあるいてるんだろう、人の気も知らないで……」
「今晩は帰らないかも知れませんよ」
「え、帰らない? おだやかでありませんな、ここへ帰らなけりゃどこへ泊るんです」
「どこだか知りません」
「いい年をして、そう浮《うわ》ついてあるいては困りますって、金助が腹を立ってたって、帰ったらキットそういって下さい……第一、こんな若い娘をひとり留守居に置いて家をあけるなんて、時節柄、物騒千万」
 金助が減らず口を叩いて容易に帰ろうともしないから、お梅が迷惑がりました。迷惑がったところで、遠慮する人間ではなく、ずるずるべったり、泊り込んでしまうつもりかも知れません。
 その時、二階でミシリと音がしたものだから、金助が例によって仰山《ぎょうさん》な身ぶりをし、
「おや!」
 実は金助も、この時まで二階にお銀様のいる約束をわすれて、お梅にからかっていたのに、このミシリという音で気がまわり、
「お嬢様が二階においでなさるんでしたっけね」
「ええ」
「御機嫌はいかがです、あのお嬢様の」
「別にお変りもございません」
「お嬢様もお一人で退屈でしょうね」
「どうですか聞いてごらんなさい」
「毎日、ああして、ひっそく[#「ひっそく」に傍点]しておいでなさるのも、お大抵じゃありますまい」
「お嬢様は出るのがお嫌いなんですから、仕方がありません」
「毎日、ああして、何をしていらっしゃるんですか」
「歌をおつくりになったり、本を読んだりしていらっしゃいます」
「字学の方がお出来になるんだから、御不自由はないさ。お家はなかなかの大家なんですってね」
「ええ、すてき[#「すてき」に傍点]なお金持だっていう話ですよ」
「ちょっと、お見舞に上ってみようか知ら」
「え……」
 金助がお銀様のところへお見舞に行くといい出したので、お梅もいいかげんの挨拶ができなくなりました。
「お見舞に行ってまいりましょう」
「およしなさいな、お気にさわるといけませんから」
「大丈夫、お嬢様の御信任は、このごろ一《いつ》に拙者の上に集まっているんでゲスから……」
「それでも……」
「ついこの間などは、忠勤をぬきんでて、そっと申し上げてしまったものだから、もう今では一も金助、二も金助、さだめて今日もお待ちかねのことと存じます」
「金助さん、お嬢様に何を申し上げちまったの」
「イエナニ……」
「金助さん、お前、お嬢様によけいなお喋りをしやしないかエ」
「よけいなお喋りなどをするものですか。何しろお嬢様もたより[#「たより」に傍点]のないお身の上で、金助さん頼みますとおっしゃるものですから、拙《せつ》の気象で、ちょっとばっかりお力になって上げたまでのことですよ。以来お嬢様は、ことごとく拙をおたより[#「おたより」に傍点]なさるんで、お気むずかしいのなんのといいますけれど、それは嘘です。どれ、ちょっと御機嫌を伺いに行って参りましょう」
 金助が立ち上ったので、お梅はおどろいて引留めようとしたが、また思い返すことには、あんまりいけ図々しい男だから、このまま二階へやった方が面白かろうと考えました。二階に寝ているのは無論お嬢様ではない、親方のお角であります。お角と知らないでこの野郎がノコノコと出かけて行って、歯の根の浮くようなことを喋り出したが最後、イヤというほどとっちめられるに相違ない。これは素敵もない見物《みもの》だと思ったから、お梅がワザと留めないでいると、金助の野郎は妙に衣紋《えもん》をつくろい、気取ったなり[#「なり」に傍点]をして、二階へノコノコとあがって行きました。
「金助さん、お嬢様のお気にさわってもわたしは知らないよ」
 お梅の駄目を押すのを、金助は聞き流して、
「どう致しまして。お嬢様、へえ、どうも御無沙汰を致しました、先日はまた大枚《たいまい》の頂戴物を致しまして」
 洒蛙洒蛙《しゃあしゃあ》として二階へ上り込んで見ると、お銀様は縮緬の夜具を、頭からスッポリとかぶって寝ていました。
「これはこれは
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