を、かくお集まりを願った次第で……」
来会者が、いよいよオドかされてしまいましたけれども、先生はいっこう頓着なく、
「ええ、皆様も御承知の通り、拙者もこれで医者の端くれでございますが、医者は医者でも、ただの医者だと思うと了見《りょうけん》が違います」
「違えねえ」
そこへ、クサビを打ち込んだのが、一子分のデモ[#「デモ」に傍点]倉でありました。道庵先生は気取った面《かお》をして、デモ[#「デモ」に傍点]倉の横顔に一瞥《いちべつ》を与え、
「近頃の医者は、みな、学問も出来れば技《わざ》も出来、従って知行もたくさん取り、薬礼の実入《みいり》も多分にあり、位も高くなるし、金も出来るのに、哀れやこの道庵は、今も昔も変らぬ、ただの十八文……」
といって先生が、ホロリと涙を落しました。
「泣かなくったってもいいやな、先生、先生も酔興でやってるんだろう」
慰め顔に弥次をとばしたのが、やはりデモ[#「デモ」に傍点]倉であります。先生は、それに力を得て、
「ツイ愚痴が出まして、まことにお恥かしい次第でございます。ただいま、申し上げる通り、当節のお医者は、皆学問も出来れば、技《わざ》も出来、従って知行も沢山取り、薬礼の実入《みいり》も多分にあり、位も高くなるし、金も出来るのに……」
「先生、わかってるよ、そうくりかえして愚痴をこぼしなさんなよ、了見を見られちまうじゃねえか」
忠義なる子分は聞き兼ねて、先生に忠告を与えても、先生は顧みる色なく、
「知行もたくさん取り、薬礼の実入も多分にあり、位も高くなるし、金も出来るけれども、いい子供が出来ねえ」
といい出しましたから、一同がまたキョトンとした顔です。そうすると、悄気《しょげ》ていた道庵先生が少しくハズミ出して、
「さあ、そこへ行くとこの道庵なんぞは大したもんだぜ。林子平《りんしへい》じゃねえが、親もなければ妻もなし、妻がなけりゃあ子供のあろう道理がねえ。板木《はん》がねえから本を刷って売ることもできねえ。この通りピイピイしているから金なんぞは倒《さか》さにふるったって出て来ねえんだ。だから、まだなかなか死にっこはねえよ、安心しろよ」
ここで見事に脱線してしまいました。初めは処女の如く、終りは酔漢の如く、すっかりボロ(ではない生地《きじ》)を出してしまったのはぜひもないことで、こう来るだろうと思っているから、聴衆もさのみは驚きもしません。
しかし、先生はまたあらたまって、薬研《やげん》の軸を取り直し、真面《まがお》になって、
「ところで今日、こうしてお集まりを願ったのは、余の儀でもございません、さいぜんも申し上げる通り、拙者も近頃、つくづく自分の非を悟った点があるのでゲスから、その点を皆様の前で改めると共に、一つのお約束を致しておきてえんだよ」
おきてえんだよ……が少し納まらない。
道庵先生ほどのものが、自分の非をさとって、それを公衆の前で懺悔すると共に、且つ、今後の実行に現わして約束をしようというのは、よほどの道徳的勇気がなければできないことです。
けれども、ここに集まっているやから[#「やから」に傍点]に、道徳的勇気なんぞの呑込める面《つら》は一つもないのであります。ないからといって、先生は少しもそれを軽蔑するような風情《ふぜい》はなく、諄々《じゅんじゅん》として説きはじめました。
「その昔、奈良朝のころに、帝《みかど》の御病気のお召しにあずかった坊主で、医者を兼ねた何とかいう奴があったが、車に乗せられて帝の御所へいそぐ途中に、見るもあわれな乞食が路傍で病気に苦しんでいたものだ、それを件《くだん》の、坊主で医者を兼ねた奴が見ると、車から飛んで降りて、その乞食を介抱して、とうとう帝のお召しをわすれてしまったという奴がある……ところでまた、おれの先祖には、お百姓の病気を癒《なお》しても十八文、二代将軍の病気を癒しても十八文しきゃ薬礼を取らなかった奴がある」
といい出すと、気の早いデモ[#「デモ」に傍点]倉が、
「取れる奴からはウンと取って、ちっとはこっちへ廻してくれたらよかりそうなものだ、よけいな遠慮じゃねえか」
この差出口には道庵先生がハタと怒って、
「馬鹿野郎」
と一喝《いっかつ》を食わしたが、急に我と我が唇のあたりをつねって、
「それがいけねえのだ、この口が……ところで、よく考えてごらん、病人と、医者と、薬はついて離れねえものだ、病人がなければ医者はいらねえ、病人があり、医者があっても、薬がなければ飲ませることもできねえ、つけてやることもできねえ」
「先生! 馬鹿につける薬はねえっていいますぜ」
「デモ[#「デモ」に傍点]倉様、お前、今日はまあ少し黙っていておくれよ、おれも今日はしらふ[#「しらふ」に傍点]で話してるんだからな」
さすがの道庵も、デモ[#「デモ」に傍点]倉
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