んがちょいちょい行きますよ。あたい、変だと思うけれども、人が止めるものを無理に行きたかないから、それで行って見たことはありません。悪い病気の人かも知れません」
「茂ちゃん、茂ちゃん」
あちらでお雪の呼ぶ声。
「ああい」
茂太郎は大きな声で返事をして立ち上り、
「お休みなさい」
「お休みなさい」
兵馬は、やがて寝に就きました。まもなく、軒を打つ雨の音。
庭の立木もさわぐ。ようやく雨が降りしきる模様。
雨垂《あまだれ》に枕を叩かせて、うとうとと寝入る兵馬。昨夜もあの騒ぎでおちおち眠れない。このごろ中よく眠れない。今宵こそは、ともかくも一夜の熟睡を貪《むさぼ》って、明日はこの寺を立つのだ。
現在、同じ寺のうちに、多年|敵《かたき》と覘《ねら》う人と泊り合わせの運命に置かれながら、それを怪しむこともなく、それを尋ねる縁もなく、今日はこうしてちかより、明日はまたこうして離れて行く。彗星《すいせい》と遊星とが、近づく時は圏内《けんない》に入り、離れる時は何千万里の大空をそれて行くように。
三十四
両国広小路の人混みを離れた一人の大男、三歳《みっつ》ばかりになる男の子を十文字に背負って、極彩色の花の中宿《なかやど》の日傘をさし、両国橋の袂《たもと》まで来て、
「もうし、物をお尋ね申したいが、あの本所の相生町というのは、どう参ったらよろしうございますかね」
「相生町へ行きなさるか……」
尋ねられた若い衆は、すぎこし方《かた》を指さして、
「それ、この橋を渡りきると左手に辻番がある、それを左へ行っちゃいけねえよ、右へ行くんだね。右へ行くと元町というのがあらあ、それを河岸《かし》へ伝って行くと相生町へ出まさあ、左が松坂町……」
「どうも有難うございます。序《ついで》にお聞き申したいのは、その相生町に、御老女様のお屋敷というのがござりますか」
「御老女様のお屋敷だって? そんなのは、ツイぞ聞かねえが、まあともかく、いま言った通りに行ってごらんなさい、相生町へ出たら、もう一度聞いてごらんなさるさ」
「有難うございます」
丁寧にお辞儀をして、教えられた通りに橋を渡りかけた子持ちの大男。
それを、やり過ごして見送っている尋ねられた若い者二三人。
「いいかっぷく[#「かっぷく」に傍点]だなあ、たしかに十両がものはある」
そのかっぷく[#「かっぷく」に傍点]に見惚《みと》れている通り、いま物を尋ねて過ぎ去った大男は、たしかに相撲に見まほしき肥満の若者でありました。けれども相撲ではない証拠には、その着物といい、言葉つきといい、ドコまでも質朴《しつぼく》な田舎者《いなかもの》で、前髪がダラリと人のよい面《かお》つきの広い額の上にさがっているところは、もうかれこれ二十歳《はたち》であろうのに、どこかに子供らしいところがあり、草鞋《わらじ》がけでかなりの道中を、江戸までスタスタ歩いて来たものと見えます。
「えてして、宝の持ち腐れというものが、この世間にはどのくらいあるか知れねえ、うまく掘り出せば横綱になる代物《しろもの》を、一生、田の草取りで終らせるのがいくらもあるだろう、今のなんぞも百姓には惜しいもんだ」
二三の若い者は、これを捨ゼリフの送《おく》り詞《ことば》で、あっちへ向くと、もう両国の盛り場の人混みへ見えなくなってしまいました。
この大男は武州沢井の水車番の与八。背に負うているのは机竜之助とお浜との間に出来たことし三つになる郁太郎であります。
その尋ねて行く先は、相生町の老女の家。
橋を半ばまで渡った時分に、人が争って南の欄干に集《たか》る。
「相対死《あいたいじに》」
「相対死」
「何ですか」
「つまり心中なんです、あれごらんなさい、心中者の死骸が見つかりました、ああして船の中へ引き上げたところです」
「なるほど」
「どこの人ですか」
「それはわかりませんが、姦通《まおとこ》だということです……引き上げられてからまたその死骸を、三日の間|曝《さら》されるんだそうですよ」
「業曝《ごうさら》し」
「罪ですね」
橋の下を潜り抜けて、矢の倉の河岸の方へ行く小舟には、打重なった死骸。白い肌、濡れた髪、なまめいた衣裳の乱れ、男女相抱いた姿が、晴天白日の射るに任せている。
「南無阿弥陀仏」
眼をつぶった与八。
「畜生、洒落《しゃれ》てやがら、こっちは心中どころじゃねえ、おまんまが食えねえんだ」
与八の傍で、憎たれた口を利《き》いた一人の乞食。この声で、眼をさました郁太郎が、むつかり出すのを与八がなだめて、その場を外し、志すところの相生町へ急ぐ。
三十五
相生町の老女の家の一間に、まだ新しい仏壇の前で、お松は赤ん坊を抱き、
「乳母《ばあ》や、ごらんなさい、登様が笑いましたよ。まあなんという可愛いお児さんでしょう」
「まあ、お可愛いこと」
乳母やと二人、同じようなことをいって、一人の赤ちゃんを可愛がっている。
「まあ、成人したら、どんなにお立派になることでしょう、この目鼻立ち、殿様にそっくり[#「そっくり」に傍点]なんですもの」
「お姿は殿様に似ても、お心は殿様に似ないように御成人なさいまし、ねえ、坊ちゃま」
「何をいうんです、乳母《ばあ》や」
お松は乳母《うば》のいったことをたしなめるように、
「お心なら、御器量なら、残らずあの殿様におあやかり[#「あやかり」に傍点]なさいまし」
「いいえ、お心はあの殿様に似てはなりませんよ、登様」
「乳母《ばあ》や、まだやめないの、そんなことをいうと罰《ばち》が当りますよ」
「いいえ、罰は当たりません、登様、あなたのお父様は薄情なお方ですから」
「いけません、登様、あなたのお父様は、いいお方なんですよ」
「いいお方ならば、こんな可愛ゆい坊ちゃまを、こうしてはお置きになりますまいに――」
「でも仕方がありませんね、お父様はこのことを御存じないんだから……そのうちムクが帰ったらきっと、あなたのお父様から便りがありますから、それまで待っていらっしゃい、そうしてお父様のお便りがあった時は、この憎らしい乳母《ばあ》やをうんと叱っておやりなさい」
「ほんに、ムクはまだ帰りませんが、途中で間違いがあったんじゃないでしょうか」
「いいえ、大丈夫です、あの犬に限って間違いなんぞはありゃしません、きっとそのうちに殿様のおいでなさるところを突留めて参りますから、見ていてごらん」
「ですけれどもお松様、よしんば殿様はあの手紙をごらんになっても、お返事を下さいますか知ら。殿様は不憫《ふびん》と思召しても、お家への義理で、知って知らないふりをなさるんじゃないか知ら。またお附の衆が、こんなことを知ったら、かえって仲を隔てるようなことになりゃしないかと、わたしはそれを心配していますよ」
「いいえ、駒井の殿様は、そんなお方じゃありません……もし、そういうお方でしたら、かえって幸いですよ、このお子さんをわたしが弟にしてしまいますもの」
「お松様、あなたが、坊ちゃまを横奪《よこど》りなさるんですか。坊ちゃまの周囲《まわり》には怖い人ばかり附いていますね」
「怖い人が附いていて丈夫に育てて上げなければ、お君様に申しわけがありません。登様、あなたのお父様がほんとうに薄情なお父様でしたら、あなたは、わたしの子になっておしまいなさい、ねえ、登様、登というお名前は、わたしが附けて上げたんですからね。お父様なんぞ来なくてもいいでしょう、松がいればあなたは御満足でしょう」
「さあさあ、乳母《ばあ》やがおっぱいを上げますから、乳母やのお子さんになりなさい、お松様はお乳を上げることができませんから、本当のお母さんにはなれません」
「乳母やは、ああいう口の悪い人ですからね、乳母やに懐《なつ》いてはいけませんよ」
といって、二人はたあいもなく、一人の嬰児《みどりご》を可愛がっていると、次の間で、
「あの、皆様、もうお説教が始まりますから、広間へお集まり下さいまし」
「まあ、そうでしたね、もうお説教の刻限でしたのに、忘れていました、参りましょう。坊ちゃまがむつ[#「むつ」に傍点]からなければ、乳母《ばあ》やもいらっしゃいな」
「はい、わたしもぜひ聴聞《ちょうもん》をさしていただきたいつもりでございます」
こういって二人はこの部屋を立ちました。
広間には今、五十名余りの男と、三十余名の女とが席を分けて集まっています。
女座の方は、けんしきの高いこの屋敷の御老女様を中心に、数多《あまた》の女中。男は例の荒くれな浪士たちを主にして、老少の者も交っています。
ここでお説教がはじまる。この取交ぜた一座に聞かすお説教師も、相当に骨が折れるだろうと心配される。
お松は乳母《うば》を連れて御老女の背後《うしろ》の方へ坐る。しかし容易にお説教の導師は現われない先に、ともかくも定員がほぼ揃うたと見きわめて、前の方に控えていた例の南条力が、坐ったままで膝を一同の方へ捻《ね》じ向けて、
「さて、おのおの、今日は御老女の思召《おぼしめ》しと、我々の希望とにより、慢心和尚を屈請《くっしょう》して、一席の説教を聴聞致す次第でござるが、和尚は、今日、甲州の恵林寺から下山致された。御承知でもござろうが、甲斐の恵林寺は、武田信玄以来の名刹《めいさつ》で、昔、織田信長があの寺を攻めてやきうちを試みた時、寺の主《あるじ》快川国師《かいせんこくし》は楼門の上に登り、火に包まれながら、心頭を滅却すれば火もおのずから涼しといって、従容《しょうよう》として死に就いた豪《えら》い出家である。それで只今の慢心和尚も、道力《どうりき》堅固を以て知られてはいるが、なにぶん越格《おっかく》のところが多く、我々には測り兼ねる器用がござる故、今日は懇《ねんご》ろに請うて、初学の者、或いは婦人子供たちにもわかるように、特に垂示《すいじ》を煩わす次第でござるが、しかし、あの和尚のこと故に、時々脱線して……凡慮には能《あた》わぬことをいい出されるやも知れない。しかし、そのうちには必ずや身になるべき教訓も多きことと思わるる故、神妙に聴聞なさるよう。わかってもわからなくても、その道の者の為すこと、言うことにはおのずから妙味の存するもの故に……左様な次第でござるから、和尚は今日は日頃と違い、全くものやわらかに……」
南条力がこう言って紹介の半ばに、一人の女中が廊下から来て、そっとお松の袖を引き、
「お松様」
お松も小声で、
「何ですか」
「あの、沢井の与八さんとおっしゃる方が、尋ねておいでになりました」
「与八さんが?」
といって、お松は驚きもしたし、この席も立てない心持で、ちょっと返答にさしつかえたが、思いきって、
「今わたくしが参ります」
と言ってお松は、そっとこの席を外しました。
「裏の潜門《くぐり》の所に待っておいでなさいます」
「そうですか」
お松は廊下から下駄を穿《は》いて、小門の所まで出て来ますと、郁太郎を背負い、日傘をさした与八が立っていました。
「おお、与八さん、よくおいでなさいましたね」
「お松さん、久しぶりでしたね」
「まあ、こっちへお入りなさい」
「お忙がしくはねえですかね」
「いいえ」
お松は欣々《いそいそ》として与八を自分の部屋の方へ導いて来ましたけれど、久しぶりのお客をもてなしたいし、それに今はじまろうとするお説教も聞きたいしで、
「あのね、与八さん、ちょうどよいところです、今ね、あの広間で有難いお説教がはじまるところなんですから、そのまま足を洗って、広間へおいでなさいな、一緒にお説教を聴聞致しましょう。お説教が済んでから、いろいろとあなたのお話を伺いましょう、ね、いいでしょう」
「それは有難いことでございます、そんならわしも、お説教のう、ひとつお聞かせ申していただくべえ」
三十六
お松も再び席に着き、与八も郁太郎を抱いて末席についた時分に、慢心和尚が壇上に現われました。
以前から近づきの人はともかく、はじめて慢心和尚の姿に接したものは、あっ! と驚きの声を禁ずることができません。
世の中
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