禁ずること数百年。よって「開かずの雪隠」の名で今も大中寺七不思議の一つに残っている。それ以来、何人《なんぴと》もその禁を犯したものがない――それを今、神尾主膳が、故意か間違いか、手をかけて引開けようとしている有様だから、お吉の驚いたのも無理がありません。
「殿様、御存じでもございましょうが、これは開かずの雪隠と申しまして、これへお入りになると祟りがございますから、幾百年の間も、こうして錠を卸しておくのでございます、あちらへ御案内致しますから」
お吉が立ち塞がって、主膳の手をとって外に案内をしようとすると、それをふりきった主膳が、
「知っている、知っている、祟りを怖れる人には開かずの雪隠、祟りを怖れぬ人にはあけっぱなし……」
知って無理を通そうとするから、お吉はこれこそ酒のせい[#「せい」に傍点]と初めて気がつきました。
「殿様、そういうことをあそばすものではございませぬ、佐竹様の奥方がお恨みになりますよ」
「うむ、佐竹の奥方が恨む、その奥方の怨霊とやらが残っているなら、こんなところに閉じ籠めておいてはなお悪い、明け開いて綺麗《きれい》に済度《さいど》してやるがよろしい。お吉、邪魔をするな」
神尾は、力を極めてお吉を押しのけようとする。お吉は一生懸命でその禁制を護ろうとする。そこで、ほとんど二人が組打ちの有様です。こうなるとまさしく神尾の怖るべき酒乱が兆《きざ》して来たもので、その兇暴な力が溢れ出すと、お吉も禁制を破らせては済まないという奉公心も手伝って、なお一生懸命に支えると、提灯はハネ飛ばされて闇となり、闇のうちに組んずほぐれつの体《てい》。
「誰か来て下さい」
お吉が叫びを立てたその口を、神尾はしっかりと押えてしまいました。
二十七
神尾主膳はその翌日、頭痛で頭が上りませんでした。終日小坊主の介抱を受けていたが、こういう時に、早速見舞に出てくるはずの門番の又六の女房のお吉が出て来ません。
酔いはもうさめてしまっているが、従来、酔いに次ぐに酔いを以てして、酔いからさめた時の悔恨を医する例になっていたのが、この時にかぎってそれをする術《すべ》がないものですから、したがって、今までに味わわなかった悔恨の苦痛が、酔いのさめると共に、めぐり来《きた》るのを如何《いかん》ともすることができないらしい。
夕方になると、お吉が見舞に来ないで、又六がやって来ました。
「殿様、お加減がお悪いそうですが、どんなでございます」
「ああ、又六か」
「嚊《かか》あの奴も、頭が痛いなんぞといって、今朝から寝込んでしまいました」
「お吉も頭が痛い?」
「どうもお天気具合が悪いせい[#「せい」に傍点]でございましょうよ」
主膳はこの時気の毒だという感じがしました。せっかく、十分の好意を以てもてなし[#「もてなし」に傍点]てくれたお吉の好意を蹂躙《じゅうりん》して、枕の上らないようにしてしまった昨夜の罪。それをお天気具合に帰《き》している又六の無邪気。それを思うと主膳は、かわいそうだとも済まないとも、慚《は》じ入るような気分になったのは、主膳としては珍しいことですが、これはむしろ主膳そのものの本性で、いつもそういう悔恨の時に、良心を酔わせる材料がないせい[#「せい」に傍点]かも知れません。
「お吉も病《や》み出したか、それはかわいそうだなあ」
「なあーに、たいしたことはございませんよ、根ががんじょうな奴ですから」
又六は、昨夜、主膳が酒を飲んだことを知らないらしい。お吉が、それを又六には話していないらしい。してみれば無論、開《あ》かずの雪隠《せついん》以後の、乱暴を働いたことも、いっさい告げ口がましいことをしないから、又六は仕事から帰って早々、ただ病気だと信じて、主膳を見舞に来たのみであることは紛《まご》うべくもない。
「時候のせい[#「せい」に傍点]かも知れない、大事にしてやってくれ」
「有難うございます……それからあの、殿様、ただいま、お客様が、わたしン処《とこ》まで、おいでなすったでございます」
「ナニ、客が?」
「エエ、殿様にお目にかかりたいんだが、こちらへ伺っては少々都合が悪いから、わたしン処《とこ》でお目にかかりたいって、殿様に申し上げてくれと頼まれて参りました」
「うむ、それは誰だ」
「見慣れない旅のお方でございます、あの、お名前は百蔵さんとかおっしゃいました」
「うむ、がんりき[#「がんりき」に傍点]か」
主膳は寝ながら、向き直って天井をながめ、ホッと息をつきました。
憎い奴、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵。あのロクでなしが来なければ、こんなことはなかったのだ。ただ隠居のところから微酔《ほろよ》い機嫌で出て来た分には、こんなにまではならなかったのだ。あいつが途中でいやに気を持たせてそそのかしたために、お吉のところで毒気が廻ってしまったのだ。それに心を乱されたのはこっちの落度といわばいえ、あのロクでなしが、わざわざこのところを突留めて出向いて来たのは、そもそもこの神尾を、何かのダシに遣《つか》おうとの魂胆でなければ何だ。癪《しゃく》にさわる小悪党め、憎むには足らない奴だが、見たくもない。主膳はこう思って、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵という奴が癪にさわってたまらないから、
「会えない、当分会えないから帰れといってくれ」
主膳は、又六に向って、素気《そっけ》なくいいました。又六は、とりつく島がないから、
「はい」
といって、腰を浮かすだけです。
又六が帰ると、行燈《あんどん》を点《とも》して来た小坊主の面《かお》を、主膳はすごい眼をして睨《にら》みつけたから、小坊主が怯《おび》えました。
「あのな、お前、用が済んだら門番のところまで頼まれてくれ。お吉が病気になったそうだが、加減はどうか、悪くなければ、お吉にちょっと来てくれるようにいってくれ」
「畏《かしこ》まりました」
小坊主はおびえながら、承知して行ってしまいます。
しかし、暫く待ってもお吉はやって参りません。主膳はその時|焦《じ》れてもみましたが、またかわいそうだとも思いました。しかしまた、来なければ来ないように言いわけがありそうなものを、小坊主はその返事をすら齎《もたら》さない。忘れたのか、ズルけたのか。
その時分、庭で、けたたましい人の声。
「え、油坂で転んだ? それは誰だエ。気をつけなくちゃいけねえ。エ、誰が転んだのだエ?」
「又六さんが転んだんですよ」
「エ、又六がかい。何たらそそっかしいことだ、慣れているくせに」
噪《さわ》ぎ立てた問題は、単に、又六が油坂で転んだというだけのこと。
主膳は、そこでまたカッとしました。油坂は転んではならないところ。そこは、やはり大中寺七不思議の一つ。
本堂から学寮への通路に当る油坂。昔は、そこを廊下で通《かよ》っていた。いつの頃か、学寮に篤学な雛僧《すうそう》があって、好学の念やみ難く、夜な夜な同僚のねしずまるを待って、ひそかに本尊の油を盗んで来て、それをわが机の上に点《とも》して書を学んだ。本尊の油の減りかげんが著《いちじる》しいので、早くも番僧の問題となった。これは必定《ひつじょう》、狐狸のいたずらに紛れもない、以後の見せしめに懲《こ》らしてくれんずと、ある夜更けて、二三の番僧が、棒を構えてこの廊下に待受けていた。今宵も例によって人定まるを待ち、本尊の油を盗んで、この廊下を戻る篤学の雛僧《すうそう》。それとは知らぬ番僧どもは、有無《うむ》もいわさず、叩き伏せ叩きのめしてしまうと、脆《もろ》くも敢《あえ》なき最期《さいご》を遂げた。年経《としふ》る狐狸の類《たぐい》にやあらん、正体見届けんと燈《ともし》をさしつけて見ればこれは意外、日頃、同学の間に誉れ高き篤学の雛僧であったので、下手人らは青くなって怖れ、かつ哀しんだけれども、もう如何《いかん》ともする由がない。その後、この廊下には雛僧のこぼした油の痕《あと》が、拭うても拭うても生々しく、その油に辷《すべ》って倒れたほどの人が、やがて死ぬ。幾多の人命がそうして、油のために奪われたので、寺では怖れて、廊下をこぼって石段に換えてしまった。その石段を油坂というのであって、ここに住むほどの人で、その因縁《いんねん》を知らぬというはないはず。おぞましくも今、門番の又六がその因縁つきの油坂で転んだという。時も時で、主膳はいやな気持がして、またいらいらとしてきました。
それだけで、又六からも、お吉からも、小坊主からも、なんとも音沙汰《おとさた》がないのに、夜はようやく更けてゆき、主膳はいよいよ眼が冴《さ》えかえって眠ることができません。
まよなかとおぼしい時分に、障子と廊下をへだてた雨戸がホトホトと鳴る。
「神尾の殿様」
呼ぶ声で、主膳がハッと驚かされる。空耳《そらみみ》ではなかったかと疑いながら、音のした方へ眼をつけて、
「誰じゃ」
「殿様、百蔵でございます。ちょっとここをおあけなすって」
図々しい奴、しつこい奴、会いたくもない奴。しかし、こうして寝込みを襲われてみれば、主膳もだまってはおられない。
「何しに来た」
「殿様、お迎えに上りました。といいましても今晩のことではございません、どのみち、殿様に再び世に出ていただかなければならない時節になりましたから、そのお知らせかたがた……ちょっと、ここをおあけなすっていただけますまいか」
二十八
房州の洲崎《すのさき》で船の建造に一心を打込んでいた駒井甚三郎――その船は、いつぞや柳橋の船宿へ、そのころ日本唯一の西洋型船大工といわれた豆州《ずしゅう》戸田《へだ》の上田寅吉を招いて相談した通り、シコナと千代田型を参考にして、これに駒井自身の意匠を加えた西洋型。長さ十七間余、幅は二間半、馬力は六十。仕事は連れて来た寅吉の弟子二人と、附近の漁師の若い者が手伝う。
終日、工事の監督に身を委《ゆだ》ねていた駒井能登守――ではない、もう疾《とう》の昔に殿様の籍を抜かれた駒井甚三郎。夜は例によって遠見の番所の一室に籠《こも》って、動力の研究に耽《ふけ》っている。
八畳と六畳の二間。六畳の方の一間が南に向いて、窓を推《お》しさえすれば海をながめることができるようになっている。床の間に三挺の鉄砲、刀架に刀、脇差、柱にかかっている外套《がいとう》の着替、一隅には測量器械の類。机腰掛に陣取っている駒井甚三郎の髪を分けたハイカラな姿が、好んで用うる白くて光の強い西洋蝋燭の光とよくうつり合っていることも、以前に変りません。
駒井甚三郎は、いつもするように研究に頭が熱してくると、手をさしのべて、窓を推《お》し、海の風に疲れた頭を吹かせる。
番所の目の下は海で、この洲崎の鼻から見ると、内海と外洋《そとうみ》の二つの海を見ることができる。風|凪《な》ぎたる日、遠く外洋の方をながめると、物凄き一条の潮が渦巻き流れて伊豆の方へ走る。漁師がそれを「潮《しお》の路《みち》」と名づけて畏《おそ》れる。外《そと》の洋《うみ》で非業《ひごう》の死を遂げた幾多の亡霊が、この世の人に会いたさに、はるばると波路をたどってここまで来ると、右の「潮の路」が行手を遮《さえぎ》って、ここより内へは一寸も入れない。さりとて元の大洋へ戻すこともようしない。その意地悪い抑留を蒙《こうむ》った亡霊共は、この洲崎のほとりに集まって、昼は消えつ夜は燃え出して、港へ帰る船でも見つけようものならば、恨めしい声を出して、それを呼びとめるから、海に慣れた船頭漁師もおぞけ[#「おぞけ」に傍点]をふるって、一斉に櫓《ろ》を急がせて逃げて帰るという話。
そのころの最新知識者であり、科学者である駒井甚三郎が、今宵はその亡霊に悩まされているというのは不思議なことです。駒井は今日このごろ頭が重く、何かの憂いに堪ゆることができない。憂いが悲しみとなって、心がしきりに沈んで行くのに堪えることができない。窓を推して見ると、亡霊の海波が悲愁の色を含んで、層々として来り迫るもののようです。潮流は地の理に従って流るべき方向へ流れているに過
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