河は残るという懐《おも》いが、詩人ならぬ人をまでも、詩境に誘い易いのであります。
 こういう弱い心を鞭打つには、こういう静かなところへ来てはいけない、と兵馬は、陣街道を真直ぐに、またも府中の宿へ足を向けました。

         十三

 兵馬はそこを引返して、車返《くるまがえし》から甲州街道筋へ出て、再び宮前まで来た時、おそろしく急ぎの乗物が一挺、西の方から飛んで来るのにでっくわせました。
 もとよりここは、甲州街道の道筋では、一二を争う宿駅の一つ。まだ宵の口、幾多の人馬が往来することに、敢《あえ》て不思議はありませんが、この乗物は、物々しい人数に囲まれ、乗物を囲んで急ぐ三四の人影が、皆さむらい[#「さむらい」に傍点]であることが奇怪。そうして先手《さきて》を払った一人は、これはさむらい[#「さむらい」に傍点]体《てい》ではないのが、棒を携えて、これが一行の差図ぶりで飛んで来たものだから、兵馬はどうしても、見逃すわけにはゆきません。で、眼前を過ぐる乗物に近寄ると、
「危ない」
 棒を持ったのが、それを制止しようとした途端のことです、
「やあ」
 これは、どちらが先に言ったのか、

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