くと、河原の中に一つの大きな塚がある。三千人の塚というのは多分これか知らと、兵馬は塚の下にたちどまって、四方《あたり》を見廻すと、やはりボーッと立てこめた靄《もや》の中に、自分ひとりが茫々《ぼうぼう》と置き捨てられている光景です。
 その時に兵馬は、自分が今までとはまるで別の世界へ持って来られたように感じて、画中の人という気分にひたってみると、なんだか知らないが、犇々《ひしひし》として悠久なる物の哀れというようなものが身にせまってくるのを覚えて、泣きたくなりました。
 ここは武蔵の国府の地。東照公入国よりもずっと昔、平安朝、奈良朝を越えて、神代の時に遡《さかのぼ》るほどの歴史を持った土地。江戸の都が、茫々として無人の原であった時分に、このあたりは、直衣狩衣《のうしかりぎぬ》の若殿《わかとの》ばらが、さんざめかして通ったところである。源頼朝はここへ二十万騎の兵を集めたそうな。新田義貞と北条勢とは、ここを先途と追いつ追われつしていた。足利尊氏が命|辛々《からがら》逃げたあともここを去ること遠くはない。英雄豪傑の汗馬《かんば》のあとを、撫子《なでしこ》の咲く河原にながめて見ると、人は去り、山
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