く》で、兵馬に力をつけて、もう一遍やれという。山崎はいま甲州街道を上っている。多分駒木野の関以東のいずれかで彼の姿を見出すに違いない、といって兵馬に一封の金を与えた。昨夜吉原へ携えて来たのはその金です。ここ数日の間に山崎を斬ってしまえば、かの女を自由の身にするだけの融通は、南条の手で保障がついていると見てよい。
兵馬はこうして、山崎譲を斬りに行く。彼を斬ることは必ずしも難事とは思っていないが、彼を斬るの理由を見出すことに苦しんでいるのです。意義のない仕事には必ず苦悶がある。いかに有利な条件も、その苦悶を救うに足らないことに悩まされている。
頭を挙げて見ると、秋の武蔵野には大気が爽やかに流れて、遥かに秩父の連山。その山々を数えて見ると、武州の御岳山《みたけさん》。
そこで流した兄の血潮はまだ乾いてはいないのに、その恨みは決して消えてはいないのに、それを差措《さしお》いて、自分は今、意趣も恨みもない人を斬ろうとして行くのだ。兵馬は浅ましく思って、われと自分の胸を強く打ちました。
宇津木兵馬は、まだ日脚《ひあし》のあるのに府中の町へ入ると、そのまま六所明神の神主|猿渡氏《さるわたりし
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